此れまでの表紙

2002年8月〜2006年9月


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2006年9月表紙「奴らの居場所#3」
八月のこと
田舎へ帰り祖母の初盆墓参りビールを沢山飲み本棚から『サブマリン707』を取り出して読み少年時代に遊んだ秘密の海岸をおとない持って行ったフイルム使い果たして帰えりそれから夏ばてしてごろごろと過ごし休日は昼から呑み昼寝し子どもの夏休みの宿題の貯金箱作りを手伝ってあつとゆう間に終わってしまい人生なんてこの調子で気がつけばあっという間におわってしまうんでわ無いかなと思ったりする初秋まだ生きているわたし。



八月の展覧会は姫路市立美術館。あの『ぐりとぐら』の自動車にも乗りました。(八月六日)
九月九日、仕事帰りにエコーへ寄って写真を下ろしました。写真展『こだまのゐるさんぽみち』はこれで終了しました。ご来場、応援ありがとうございました。
わが友眠姫館当主村田兼一の写真展が開催される。九月三十日(土曜日)〜十月十五日(日)十三時〜二十二時。 Subterraneans(http://www.subterraneans.jp/)




向 井 仁 志 写 真 展

こだまのゐるさんぽみち

 

2006年6月30日(金)〜7月30日(日)
木曜定休
午前7時30分〜午後10時:00分
画廊喫茶エコー
(JR学研都市線四条畷駅東口すぐ)

天狗や河童は絶滅危惧種となってしまいましたが、
こだまは今でも私達の身近にいるようです。
街の外れの散歩道、石段の上角のむこう、草むら木の根元、
夏の盛りの日陰の闇。
不思議の気配を感じてカメラをむけると
二眼レフカメラのファインダーの隅に
シャッタースピードよりも
素早く逃げて行くこだまが……

なんだかんだで八月が来ました。梅雨も明けました。写真展は無事閉幕となりましたが、ギャラリーの居心地が良かったらしく、写真どもが帰りたくないと言うので、それではもう暫くそこに居させてもらいなさいと、マスターにお願いして、壁にかけたままにさせてもらっています。お見逃しの方はお越しください。(八月二日記)

お知らせ
『業務多忙の為七月二十九日・七月三十日を出勤とする』というお達しがあり、写真展の最終日だというのに会場へ詰められないことになってしまいました。両日以外も残業が続き、会場へ行けるのが夜九時前という日が続いています。お会いできないかもしれませんが、会場へお越しいただけますよう。 (七月二十六日記)

六月三十日 定時退社で会場。

七月一日   午後から会場。友人から花が届いていた。今日は妻が仕事なので、子どもたちを連れて行く。退屈させないように、本屋でマンガ雑誌を買い与える。ジュースを飲ませてシフォンケーキを食べさせる。痛い出費。でも奴らはすぐに退屈し、すぐに腹を減らす。四時前に子どもたちをそろばん塾へ送り夕食の準備に帰宅。

七月二日 昼前に会場。午後から山村さん・DOTの岡田さん来場。お土産にお菓子いただきビール御馳走になり、面白お話をたくさん聞かせていただく。うろぼろす堂ご夫妻来場。京都の福岡さん来場。十二月の京都のグループ展に出品予定との事。なんだかんだで夜八時ごろまで会場で過ごす。

七月三日 残業七時過迄。その後会場へ。一階でマスターに写真集見せてもらう。

七月四日 六時半退社。その後会場へ。昼間何人か来場。感想の置手紙をもらう。名前が書いてないので誰の感想か解らないのが残念。今夜は二階に常連の団体さん来店。

七月五日 残業七時その後会場へ。昼間妻の母が来場。店に置いてある風景写真の写真集を見て、ムカイさんもこういう写真をとればいいのにと言ったらしい。

七月七日 高校の写真部の後輩達から花が届く。

七月八日 夜、眠姫館当主来場。マスターも交えて話をする。彼もまた我らと同病者なので、エコーが気に入ったらしい。

七月九日 小泉八雲『虫の音楽家』読了 。

七月十一日・十二日 残業で会場に行けず。皆勤賞を目指していたのに残念。十二日は今年最初の蝉の声を聞いた。

七月十五日 福永武彦『遠くのこだま』読む。以前、写真展の案内状を配布に行って、古本屋で偶然見つけた本。会場で読もうと購入した。妻は仕事子どもたちは妻の実家へお泊りに行く。自分は心置きなく遅くまで会場に詰めてマスターとクヨクヨ話す。

七月十六日 中井英夫の『ラ・バテエ』を再読。高校の後輩森君来場。雷雨。

七月十七日 稲垣足穂『おくれわらび』。会場近くの憎たらしいおやじの古本屋で見つけた。憎たらしいが買わずにいられない。破レ家の空安さん来場。クヨクヨ話す。

七月十八日・十九日・七月二十一日 残業後会場へ。マスターとクヨクヨ話す。

七月十九日 久しぶりにほぼ定時退社で会場入り。先日も三重県鈴鹿から来場してくれたマスターの勤め人時代の友人が900ccのバイクすっ飛ばして再来場。昔の苦労話などクヨクヨ話して盛り上がる。

七月二十三日 中井英夫『墓地』再読。京都の亀村さん来場。今年もミオ展入選とのこと。 会場で常連の団体さんが会合。サックスの演奏まで聞かせてもらう。今日は子どもの誕生日で六時前に帰る。帰り道大雨でずぶぬれになる。

七月二十四日 八時半まで残業後会場へ。

七月二十五日 八時過ぎまで残業後会場へ。マスターに大学時代の先生の話など聞かせてもらう。

七月二十六日 残業八時半。ねむの木学園の子どもの画集を持って行き、マスターに見せる。閉店時間まで話す。

七月二十七日 今日は休廊なので残業八時でまっすぐ帰ったら、妻と子ども達だけで宅配ピザを取って食べていた。遅い帰宅が習慣化しているのだ。

七月二十八日 六時過ぎに退社。帰り道写真撮りつつ会場へ。十時前に帰宅。

七月三十日 一応最終日。日曜出勤で二時半まで仕事。一旦帰宅後会場へ。梅雨開けして暑い。誰か来るかと思ったが、今日は暇。マスターに写真集借りて眺める。撮り終えたカラーフイルムを現像に出しに行き途中写真撮るなどして過ごし、七時ごろ帰宅。


作品の搬入も早々に済ませて、卓上展示のファイルをのんびりと作りながらモロゾフグラスで焼酎飲んでふとカレンダーを見たら、六月二十七日火曜日。待てよ。木曜日はエコーが休みで、三十日の金曜日が初日と言うことは、明日が設営の日ぢやないか。私の頭の中では初日はまだまだ先のような気がしていたのです。大急ぎで卓上展示のファイルを纏めて、夜中に慌てて金槌やら釘やらさがして、翌日の会社帰りに会場を設営に行きました。最後の最後でばたばたとしてしまいましたが、何とか作品を掛けました。

というわけで、始まってしまいました。御来場お待ちしています。(六月三十日記)


作者の在廊予定
皆様のお手元に案内状がとどきましたでせうか。さてムカイの在廊予定ですが、平日は原則として夕方六時半ごろ。仕事がちゃっちゃと片付けば、無施錠でも盗まれる心配の無い赤いぼろ自転車で駆けつけます。それから自宅で夕食が始まる七時半ごろまでは会場で過ごせると思います。日曜日は午後三時ごろ散歩がてら写真撮りながら会場へ行き、『ちびまる子ちゃん』が始まる頃までいようかなと思います。土曜日が問題で、今のところ七月八日七月二十二日が出勤つまり平日パターン。それ以外は休日パターンの予定なのですが、急な仕事で出勤などという事態もあり得るのでこまりものです。休日、夜間は事前に連絡いただければその時間に会場に居るようにします。ま、夜は大体家に居りますから会場からお電話いただければ無施錠でも盗まれる心配の無い赤いぼろ自転車で即参上します。
ね、家の近くで展覧会できるっていいでしょう。(六月十九日記)


今年の写真展はこれまでと会場がかわります。

 さあ今年は写真展だと思っていたら、市の広報に「市民ギャラリーの移転・詳細は後日発表」の記事が。詳細がわかるまでまっていては夏前に写真展が開催できない。夏をすぎるとおまんまを食べる為の仕事が繁忙期を迎えてしまい写真展どころでなくなってしまうわけです。困ったなーとおもっていたら、おでこの前で百ワットの白熱電球がぱっと点いて、『こだま』の写真展なんだからエコーでやらせてもらえばいいぢやないかとおもいついたわけです。エコーというのは電車で一駅先にある喫茶店で、私の勤め先が変わったのでこの頃そちら方面に立ち回ることが多くなっているのです。それで作品の見本を持っておんぼろ自転車こいでエコーへ行ってマスターに見せたわけです。 マスターは京都にある写真ギャラリーの老舗・DOTでも個展をやったりしている人で、自分の店の二階にも展示スペースを作っているわけです。で、うまい具合にそのギャラリーをかしてもらうことが出来たわけです。
 この頃は仕事帰りに時々、ちょっと遠回りしてスーパーの中にあるミニラボにカラーフイルムを現像に出して、商店街の本屋で立ち読みして、エコーでコーヒーを飲んでぼんやりするのがささやかな楽しみになっているのです。






2006年04月表紙 『奴らの居場所#2』


夢を見ました。前から欲しいと思っていた交換レンズが中古カメラ屋で五百円ぽっきりで売られていました。傷もかびも無いのに何てお買い得!と店員に声を掛けようとしてはっと気がつきました。レンズを買ってもカメラに入れるフイルムはもう製造されていないのです。というところで目が醒めて急いで獏に喰わせました。


この頃、私の周りで様々なものが変化しています。勤めていた会社が倒産。行きつけのミニラボは閉店、愛用のカラーフイルムは近々製造中止、更に、常用している黒白印画紙も製造中止、それから私が写真展をやっていた市民ギャラリーも閉鎖になってしまいました。

代替の品物や場所や品物はあるのですが、「じゃ今日からそっちで」とはいかないものです。カラーフイルムも印画紙も市民ギャラリーも詰まるところ安さが魅力だったのです。暇無しの貧乏人が写真を続けるには沢山撮っても懐の痛みが少ない安いフイルムと長年使い慣れてどんなネガでも試し焼きなしで焼け、夜中に暗室作業をして朝には乾燥が終わっているポリエチレンコートの安い印画紙が必要なのです。 高価な額を用意しなくても壁に画鋲を打って展示できる、自転車でいける距離にあり安く借りれて土日祝日も、夜もそこそこ遅くまであいている展示場所がないと困るのです。今年は一年おきに開催している個展の年に当たるのに、困ったことになったと思っていましたが。

ほんとうに必要なものは容易に与えられるとエピクロスは言いました。会社は倒産しましたが、幸運にも、やっていた仕事と一緒に別の会社に移って生活の糧を得ることが出来ています。また通勤圏が変わり、その範囲で新しいミニラボに現像を頼むようになりました。フイルムも印画紙もまだ買い置きがあるし量販店にも在庫があります。それが底をついても何らかの代替品は手に入るでしょう。ギャラリーも、いろいろ縁あってよい場所が見つかりました。とりあえず写真展を準備中の今日この頃。


2006年01月表紙 『奴らの居場所#1』

目玉の幸福

 鼠器が壊れて以来、限られた友人局を訪問する以外、電脳波乗りも殆どやっていなかったのですが、去る十二月にふとニコンサロンの予定を見たら、一月に下瀬信雄さんの『結界?』をやると書いてあるでわあーりませんか!これわたいへん。忘れないように手帳の十二月さいごの頁にでっかくメモして心待ちに年を越しました。
 で、今日一月十五日。観にいったわけです。
 昔カメラ雑誌のグラビア頁で『凪の時』という作品を見て以来気になる写真家で、1997年の『結界』をニコンサロンでみてくらくらした記憶が蘇ります。その後の三回わ見に行く機会を逃しておりましたが、久々に結界に分け入れる喜びに震えました。
 大判の写真機で捉えられた世界わ、草木の繁茂する、ちょっと郊外山里なればどこにでもありそうな叢や木立、田圃の畦、農地の隅と思しき場所なのですが、ああどうしてこんなにも私を虜にするのでしょうか。もうここから離れたくないここえ布団持ってきてここで寝ると思いながら会場内をぐるぐると何度も何度も何度も巡り堪能しました。結界とゆうよりも曼荼羅を思わせるような、一面に繁茂する植物たちのざわめきが聞こえます。世界わこんなにも美しいのですね。やはり美わ遍在するのですね。この作品をプリントするのもきっと楽しかっただろうなー。引伸機にフイルム入れてピントが来た時や、現像液の中で像が現れた時にわ全身に鳥肌が立つだろうなー。これだから写真はやめられんのだなー。 真上から叢を撮るのわどうやるのだろー。うまくピントグラスをのぞけるのだろか。蛇の写真は蛇を見つけてから写真機を組んだのだろか、35ミリ判でもピント合わせてるうちに逃げられてしいまいそうだなーなどと思いながら二時間近く楽しませていただきました。
 さて、さすがわニコンサロン。私がぼーっと作品の前に佇んでいる間に何人もの人がニコンの紙袋提げて見に来ましたが、皆さんすすすすすと素早く見ていかれます。どの人も一番長く立ち止まって見ているのわ写真の前ではなく、会場の入り口の何か文章の書いてあるパネルの前だったりするので、不思議でなりません。これだけ大量の情報を湛えた写真を、あれほど高速スキャニングできるのか、恐るべし他の人たち。私の目玉わ針穴写真機並みの性能なので、読み込みに時間がかかるのです。それから、読み込んだ写真の美しさを忘れないように記憶するのにも、相当の時間と努力が必要です。きっと皆さんの目わもうデジタルになっているのでしょう。私わまだアナログです。この目玉のレンズ開放でF4。ASA感度32くらいしかないかもしれんなー。と思いちょっと悲しかったです。そうして、第二ビルのインド人のカレー屋でカレー食べてレコード屋を梯子してCD三枚買って家族のご機嫌取りのお菓子も買って帰りました。それから会場で貰ってきた本展の案内葉書を見て、相変わらずのニコンサロン。もう一寸何とかならんかったんか。作品が素晴らしかっただけに、これでわあんまりだと残念に思いました。


2005年11月表紙 『怪獣の死体』

八月の出来事つづき

 会社が潰れてね、また路頭に迷うことになって。ああ明日からまた職探しか。と深刻そうに言うのですが、何故か顔がほころんでしまうのです。実際、春ごろから、何となく仕事に煮詰まっていたので、どっかーんと何もかも吹き飛んでしまったので、いやー困った困ったとウキウキしていたら、その晩、上司いや元上司から電話があって、潰れた会社で僕が担当していた仕事を引き継いでもらう会社がきまり、打ち合わせをしているのだが、実際のところはムカイさんが一人で適当にやっていた仕事なので、他人にはわけが判らんので、ムカイさんまだ次の仕事の当てがないのなら盆明けからこちらの会社へ来てもらえまいかというのです。「それは願っても無いお話で」と応えつつ表情は一転暗く沈み、溜息など吐いてしまいます。金語楼の兵隊落語みたいです。すいません例えが解りにくいです。縁が切れたとと思ったのに仕事の方が追いかけてきた。雇用保険も今回は掛けた期間が短いので三ヶ月くらいしか遊べないようだから、場所が変われば気分も変わるかも知れんし、仕事が自分を必要としていると言ってくれているのだから、続けようかとお盆に田舎で酔っ払って考えました。結局元上司と僕とパートの女の人二人が仕事と一緒に貰われていき、納期遅れを取り戻す為に土曜日の休みもなしに働いているのです。前の会社に比べると通勤時間がちょっと短くなりました。何と信号が一箇所だけになり、緑地公園を横切り住宅地の路地を抜けて自転車で通っています。通勤途上に九十円で缶コーヒーが買える自販機も見つけました。でも土曜日が振り替え出勤になったり祭日も出勤になったりと、休日が激減してしまいました。

 他にも大きな生活の変化がありました。七月一杯で、僕の行きつけの写真屋さんが店を閉めてしまったのです。駅前に店を出して二十年、ムカイがネガカラーの現像とプリントをお願いするようになって十五年。ムカイさんには儲けさせてもらったけど、世の中のデジタル化で、フイルム写真の需要が落ち込みやっていかれへん。もう私らみたいなミニラボという業態がいらんようになってきたんやね。大手のミニラボチェーンも軒並み店舗を整理している。今が引き際や。今なら自分でやめられる。やめると言ったら、同業者はみんな羨ましそうに『ええなーやめられて』と言ったそうです。 でもムカイにとっては深刻な痛手です。とりあえず別のミニラボにプリントを頼んでいるのですが、フイルム持って行く度に、違うアルバイト店員に名前と電話番号を聞かれて毎回電話番号を聞き間違えられて、上がって来る写真の色も何となく気に入らなくて、カラーフイルムの消費量が激減してしまいました。

 もうひとつ無くなってしまったものは、あがた森魚のファンクラブ。リニューアルのために一時活動を休止しますというお知らせが届きました。最近はコンサートに出掛けることもなくなってしまっていましたが、それでも時折届く会報を楽しみにしておりました。年会費一万円はなかなかきつい出費ではありましたが、ムカイにとっては大切な精神的支柱であり、早期の再開を願わずにはいられません。

九月の出来事

 今日は自分の誕生日なので、お祝いをしてやろうと思いました。電車で出掛けて駅の近くの無印良品でタンブラー二個セット二百五十円を買いました。いつも焼酎飲むのにモロゾフのプリンの入れ物ではあまりに自分が可哀想だと思ったのです。 あと、ルーズリーフのノートと手帖のリフィルと付箋を買いました。最近自分は文章を書くことが減ってしまって、こんなことぢゃずるずると日々に押し流されて日常や惰性や諦めや妥協の水を呑んで溺れてしまいそうなので、忘れてしまいそうな妄想や怨嗟や欲望や悔恨や廉恥や破廉恥や驚愕を書きしるして、浮き身の糧としようと思ったのです。 それから本屋をのぞくと『コーネルの箱』という本が自分を待っているのに出会ったので買いました。ジョセフ・コーネルの作品とチャールズ・シミックの文章が示唆に富む書物です。更にレコード屋へ行って『ゴジラ』のDVDを遂に遂に遂に遂に買ってお金を払って購入して入手して我が物にしてしまいました。欲しいと思っていても、値段が高すぎて、消費は悪徳であるという貧乏人の罪悪感を感じてゼイタクはテキだと買う機会を逃していましたが、自分への誕生日プレゼントという上手い口実が見つかって買ってしまいました。とはいえ家族特に子供が怖がって、なかなか見せてもらえないのでした。それから、無印良品のタンブラーも、モロゾフよりも容量が多いことを家人に見咎められて、日々の晩酌にはなかなか登場の機会も無く、相変わらずモロゾフ生活が続いています。

十月の出来事

 お盆に田舎に帰った時に松山の大街道の交差点で三脚にスプリング駆動のベル&ハウエルらしき十六ミリカメラを据えたかっこいい老人を見かけて以来、心の隅っこでのやのやとムービーに対する思いがくすぶりだしていて、そういえば、最後に八ミリカメラを回してから十年経ったなーと指をおり、愛機フジカシングルエイトZ2を取り出し、備蓄していた最後の水銀電池を入れて見たのだけれど、嗚呼。むごいことに、十年の歳月は電池を放電させ、さらにカメラの露出計と絞りも動かなくなっているではありませんか。

 電子頭脳の鼠の調子が悪く、矢印がうまく動きません。おかげで、研究所の更新も億劫になり何ヶ月もほったらかし状態になってしまいました。新しい鼠を買いに電器屋へ行って見ると、近頃の鼠には何と玉が付いていないのですね。売っているのは光学式鼠ばかりではありませんか。知りませんでした。これなら玉の隙間にごみがたまることもない、文明の利器だと感心して買って帰り、早速電子頭脳に繋いでみたのですが、矢印はうんともスンとも動きません。なんじゃこりゃと細かい文字の説明書を眼鏡を外して眼を近づけて読んで見ると、『帳面型電脳』では『お触り指示器』と制御が競合するので『お触り指示器』の制御を削除してください。と書いてあるではありませんか。そんな難しそうなことはわたしようしません。これは困ったことになったと思い、とりあえず古い玉式鼠をもう一度繋いで見ると、矢印が動くではありませんか。玉鼠め、お役御免にされては一大事と、心を入れ替えたのでしょうか。暫くは元気に動いておりましたが、またこの頃はさぼり癖がでて上手く矢印が動きません。今この文章は『お触り』で書いています。うっとおしいことです。

とりあえず夏以降のムカイのぢたばたを心づくままにお知らせします。無沙汰致しまして御免下さりませ。


2005年8月表紙 『卓上#5』


七月の出来事

DVD『タカダワタル的』で『ブラザー軒』を聴いてからというもの、昼間仕事中にも、私の頭の中にある小さなくぐり戸を開けて、身長二十センチ、三頭身の高田渡がギターを持ってやって来て、『ブラザー軒』を歌うので、その度に私は泣いてしまいそうになるので、日常生活に支障があるので、原詩の作者である菅原克己のことを知らなかったので、手元にあった思潮社の現代詩文庫44三木卓詩集の最後の頁をみたら第一期の49巻に菅原克己詩集があったので、今度本屋に行ったら買おうと思っていたのですが、なかなか詩集が置いてある本屋へ行く機会がなくて、そうすると毎日頭の中で三頭身の高田渡が歌うので、心がきゅううとなって苦しいのでしたが、そのうち大きな本屋へ行くことが出来て現代詩文庫を見ると、もと居た村も家も無く、第一期で残っている詩人は極僅かで、今や第三期続々誰某詩集などというものばかりになっているので途方に暮れて、店内の混雑を泳ぐのが嫌で十五年ほど足を向けたことの無かった梅田の紀伊国屋書店に行って見ると、文学書ことに古典の書棚が小さくなっていて、いよいよ私の居場所がないよと思いつつ、詩集もあんまり無かったのですが、何と『菅原克己全詩集』という立派な、愛らしい本が置いてある。いえいえ私を待っていたというべきでしょうか。こうして私は夜妻がテレビを見ている横で、モロゾフのプリン容器で甲乙混和紙パック入り焼酎の水割りを飲みながら菅原克己の詩を読む幸せな日常を手にしたのでした。

八月の出来事

 四つ切バットの中で赤茶色になった現像液の中から写真の女神様が現れて「これこれムカイそなたこの頃あまり暗室作業をして居らぬではないか」と仰ったので「実は会社の仕事が忙しくて撮影もプリントも儘なりませぬ。お盆過ぎから冬にかけて四万台の大口注文の仕事が決まっていて、これでは来年に予定している写真展もどうなることやら」と近況をいえば、「わかりました何とかしましょう」と女神のありがたいお言葉にへへえとかしこまったところで目が醒めた。

 さて、その日会社へ行くと臨時の朝礼があり、弁護士がこう言った。本日決済予定の約束手形が不渡りとなり当社は倒産。社員の皆さんは全員解雇となります。今月分の給料と解雇予告手当ては銀行の相殺を避けるため弁護士の方から本日振り込まれます。雇用保険、年金健康保険等の手続きは盆開けに社労士も交えて行います。長い間ご苦労様でした。四万台の大口注文もバブル時代からの負債十三億円の前に吹き飛んでしまいムカイは五年にして再び失職したのであった。

 債鬼が押し寄せると面倒なことになると思い、早々に私物を纏めて帰宅して、その日はさすがにボーとしていたが、翌日子供らを夏休み児童センターに放り込み昼間から暗室をした。春からのフイルムから選んでキャビネを数十枚焼いた。そうして写真の女神様に感謝をささげた。「女神様ムカイに写真をする時間をお与えくださりありがとうございます。しかしこのままでは来月から時間はあっても、写真をするお金がなくなりそうです。お金もお与えください」

 しかし現像液の中から女神様はお出ましにならないのであった。


2005年7月表紙 『卓上#4』

週末日記 五月・六月

 五月。土曜日。胃カメラのあと大阪写真月間。何箇所か廻ろうと思っていたが、やっぱりしんどいので一箇所だけ。材料買って古本屋と中古レコード屋パトロールして帰宅。中古レコード屋で、荘村清志の『武満徹へのオマージュ』発見。買う。家で聴いていると子供が寄ってきてジャケットの写真を見て「このハリーポッターの先生みたいな人は誰だ?」というので、有名なギタリストだというと「波田陽区みたいなものか?」と言われてしまう。 泣く。

 日曜日。午前中掃除。家族は外出してしまったので、昨日買った荘村清志〜カザルス〜マイルス・デイビス聴いてごろごろする。午後から写真機持って散歩。
 
 六月。土曜日。子供を連れて大阪写真月間。何箇所か廻りたいところだが一箇所だけで子供が腹が減ったもう飽きたというので挫折。玩具屋などでご機嫌をとって帰る。

  日曜日家族と車でスーパー。車を運転したのは二月以来。スーパーには自分の欲しいものが無くなってしまった。若い頃はあんなに大好きだったスーパー。生活に必要なものは大抵そこにあったスーパー。でも、今は何も欲しいものが置いていない。疲れて帰る。

 土曜日雨。一人で出掛ける。兵庫県立美術館『ギュスターブ・モロー展』『安井仲治展』昼ごはん食いはぐれて駅のホームでサンドイッチ。帰りには雨が上がっていた。家族の御機嫌取りにミュージアムショップでお土産に買ったお菓子。でも人気がなく妻も何となく不機嫌な様子。

  日曜日。掃除。物入れから団扇をだす。電子蚊取り器を出す。子供がテレビ広告を真似て「蚊もおやじぢもはいれないのよ」と何度も言う。何処にも行かず居間で寝転んで過ごす。音樂を聴き本を読み少し眠る。とても贅沢なことをしているような気持ち。

 土曜日。妻は仕事。子供と家で過ごす。昼食はカップ麺と焼酎水割りをモロゾフのプリン容器で二杯。屋根裏でギター。一寸弾いたら五弦が切れてしまう。退屈して子供たちに何処かへ行こうというが、彼女らは家で遊ぶという。下の子連れて駅前の写真屋へカラーフイルム出しに行き、スーパーで食パン。二階の百円ショップでフルトヴェングラーのCDを見つけて買ってしまう。夕暮れて行く空の色を見ながらのごろ寝のBGMにちょうどいい。
金曜日。仕事から帰ってくると、『タカダワタル的』が届いていた。夜一人で焼酎の水割り飲みながら鑑賞。「ブラザー軒」に泣く。モロゾフ四、五杯で人事不省。

  土曜日。家で過ごす。ボンヤリと読書。音樂を聴く。焼酎水割り二モロゾフ。

 日曜日家族の要請により車で電器屋。遂に冷蔵庫を買い換える。結婚した時に買った冷蔵庫。15年経って、裏から水が漏れ、冷えが悪くなり、製氷皿氷が穴だらけで一度に数個しか氷が出来ない冷蔵庫。新婚当時はでっかいなあと思ったのに、四人家族には容量が小さくなってしまった冷蔵庫。私もまた同じだけの年月を過ごしているのだ。私もまた。
 


2005年5月表紙『卓上#2』

鼻詰まりの四月・睡魔の五月

 さて、去年までは目の痒みと鼻水くしゃみだった花粉症が、今年は更に手ごわい鼻詰まり症状を伴い、私を苦しめました。ふと気付くと、鼻で呼吸することが出来なくなっているのです。朝、目を醒ますと、口で息をしていたために口の中がカラカラに乾いて、舌が動かないという最低な目覚めを何度も経験しました。ものの臭いは当然ながらまったくわからず料理の味もわかりません。酸素不足になって脳が壊れたらどうしようかと心配しました。
 もっと驚いたのは、鼻が詰まっていると、水を飲むのもうまくいかないということでした。正常な状態では、口に水を含み嚥下する際に、最後のところで、喉の空気が微妙に鼻に抜けているのです。普段はまったく意識することなしにやっていることが、いざ鼻が詰まってしまうと、その僅かな空気の逃げ場がなくてむせてしまいそうになるのです。これは、以前足の親指を骨折して和式便所でしゃがむことが出来なくなったとき以来の驚きでした。足の指一本動かないだけで、普段何気なくしていることができなくなるのです。鼻の穴も伊達や酔狂で二つ開いてるわけではない。人間の体とは何と微妙につくられているのであろうかと感動いたしました。

 五月の連休明けごろから、漸く花粉症も治まってきましたが、 今度は眠り病になってしまいました。毎晩十時のテレビニュースを見ていてスポーツの話題が始まる頃になると意識を失い、気がつくと午前零時前になっているのです。それから寝室へいき、五分ほど読書した後、また朝まで人事不省に昏々と眠り続けてしまいます。枕を低いものに変えたせいもあるのでしょうか、以前のように印象的な夢も、あまり見なくなってしまいました。
  休みの日も、予定の無い時は、昼食後から居間でごろごろと音楽を聴いたり本を読んだりしながら、時々うとうとと意識不明になりながら夕方まで過ごしてしまったりしています。それだけ寝るのに夜も眠くてたまらないのはなぜでしょうか。
 子供の頃は眠ってしまってこのまま目が醒めなくなったらどうしようと心配で眠れなくなったりしましたが、この頃はもしかしたら寝ている時が一番幸福な時間なのではないかとさえ思うようになりました。


2005年4月表紙『卓上#1』

先週の土曜日は仕事が休みだったので、一人で糸の切れた凧みたいにふらふらと美術館へオノデラユキ写真展を見に行き、フイルムと薬品を仕入れ本屋と中古カメラ屋をパトロールして内田百?の『有頂天』旺文社文庫版発見して一寸高いが文庫で旧かな使いの内田百?が読めるのは旺文社文庫だけなのでええい買っちゃえと帰宅してテレビでニュースを見たら高田渡が亡くなったと言っていたのでとてもショックを受けてしまいました。その夜暗室で写真を焼きながら、ヘッドホンステレオで高田渡サードアルバム『石』をエンドレスで聴きました。

何年か前にキンチョーのコマーシャルに登場した高田渡が「生きているのは面倒だだけど死ぬのも面倒だ」と歌い僕は真理を歌った凄いCMだと感動したのですが 、新聞に揚げ足取りな投書が載ったりしてすぐに放送されなくなってしまったことなどを思い出しました。

つい先日もコンビニで立ち読みした文藝春秋のフォーク歌手座談会にも登場していたのに、こんなことなら立ち読みせずに買って帰ればよかったと後悔しています。

もうそろそろ花粉の季節も終わりだろうと思うのに、未だに鼻が詰まって息苦しい毎日です。寝ている間口で息をするので朝起きたら口の中が乾燥して気持ち悪い思いをしています。


2005年3月表紙『卓上#3』

昨年は家を建てたりして身辺に大きな変化があったので、もしかしたらこの春は、反動で心身に変調あるやも知れぬと危惧しておりましたところ、うろぼろす堂さんが彼のサイトで、「鬱にはカレリア」と言っていたので、たしかうちにもあった筈と、探してみたら、妻が持っているCDのなかに「行進曲」が収録されておりましたが、そのCDにはシベリウスのほかの楽曲やグリーグ、北欧の人ではありませんが、私の好きなディーリアスの作品が集められていて、ねっころがって聴いていると世界が肯定的に感じられてよい気分です。

私は年毎に一年を通してよく聞く楽曲というのがあるのですが、それはスーパーなどでワゴンで特売されているCDの中から掘り出してきたものが多いのですが、 去年はボッケリーニ、その前はマックス・レーガーで、今年はアンドレス・セゴビアの弾くギターが耳に馴染んでいて、うちの子供たちはこれを聴くと「無印良品のBGMみたいだ」といいますが、これはけっして悪口ではないようです。

最近テレビコマーシャルで大瀧詠一の「スピーチバルーン」が流れていたりするので妻が「ロングバケーション」の廉価盤を衝動買いして、懐かしがって聴いていたのですが、うちの六歳児が歌詞を覚えて妙なこぶしを回して鼻歌って、「この歌を歌っているヒトはまだ生きているのか」と聞くので、このレコードがヒットして大金持ちになったから、お正月にラジオ番組にゲスト出演する以外は毎日遊んで暮らしているらしいめでたしめでたしと教えてやりました。

私の音楽師匠の一人であるドラゴン辰見さんのバンド The Midnight Ramblers が四月二日午後三時からコンサートをするというお知らせが届いて、これは是非行きたいものだと思っています。場所は奈良県生駒市高山町4981カフェテラス ハミングバード。以前、辰見さんからボブ・ディランのダビングテープを沢山頂きました。これさえあればいつでも世界の終わりが迎えられるというわけです。


2005年2月表紙『公園』

車の運転はどうしても好きになれないことのひとつです。近所のスーパーマーケットへ行ったり、近県に日帰りの行樂に行くのに軽自動車に家族を乗せていくのですが、自分はどうしても不機嫌になってしまうのです。
車に乗る前にちゃんとしっこをしていてもすぐに尿意を催します。手足が冷たくなって不愉快です。バックミラーに映る車は「早く行けそこをどけ」と言っているような気がします。前を走る車はのろのろとマイペースで走りやがっていらいらします。何よりも鉄の箱の中に座ってわっかを回したりペダルを踏んだりしている自分の姿が滑稽に思えて恥ずかしくてなりません。運転、操縦などというと、自分は自分の脳味噌の中にもう一人の小さな自分が居てわっかを回したり釦を押したりしている姿を想像して変な気持ちになってしまいます。
自分には他にも沢山の嫌いなものやいやなことがあります。もちろん好きなこともすこしはありますが、内緒です。
春がきました。忙しい寒い季節を今年も何とか乗り切れたようです。虚空画廊に新しい寫眞『なのはな さくら』を飾りました。虚空文庫には『夢路その1』『好きになれないものについて』を掲載しました。2005年2月12日




2004年10月表紙 『夜光塔』

ザムザ氏に会えた十月

家の中の目に付くところから引越しの段ボール箱がなくなるまでに一ヵ月かかりました。まだ物入れの中などには未開封の段ボール箱があったりします。荷物の整理で貴重な休日がつぶれていくのが悲しいのです。これが生活というものなのでしょうか。
生活に疲れた私は電車に乗ります。西か東かしばし考えてその日十月十七日は西へ向かいました。
姫路市立美術館で「ヨーロッパ幻想の系譜」と題された展覧会が開催されていたのです。
春には「アンドリュー・ワイエス水彩素描展」を見に行きましたが、大枚の電車賃を使ってもこれは見たいよなーというそそる企画を出してきますねこの美術館は。
デルヴォー、ルドン、マグリットもよかったけれどジェームズ・アンソールの群集には笑いました。うれしくて、眼鏡を外して絵に顔を近づけて長いこと眺めました。虫眼鏡を持っていけばよかったと思いました。
エドワード・カルヴァートという人はこの展覧会で初めて知りましたが、これがまた小さくて、眼鏡を外してずううと顔を近づけて見ると、とんでもない緻密な版画で、これを彫ったのか?エッチングとかじゃなくて、木口木版ということは彫刻刀で彫ったのか?縮小コピーじゃなくて、現物か?と長いこと見入ってしまい暫く目の焦点が合わなくなってしまいました。
嬉しいことに十月にはもう一度日常を逸脱できる日曜日が巡って来ました。
十月三十一日に今度は京都の近代美術館で、あのザムザ氏に会えたのです。陶芸家八木一夫によって創られた散歩するザムザ氏に。
それにしても、この悪夢のような物体たちは何なのでしょうか。平面の一部が剥がれてそこからうねうねとのたうつものがのぞいている「壁体」と名付けられたシリーズは、私が幼い頃熱にうなされる度に見た夢の景色そのものではありませんか。小学校の汲取便所の底に蠢く蛆蟲のような、いんへるのの業火にに焼かれる亡者のようなうねうねを見つめていると目玉が震えてうねうねが本当にうねうねとうごめきだしてきて手を延ばしてさわりたいという欲望を抑えるのに苦労しました。ここでさわってしまったら、きっと私もうねうねに感染して皮膚の内側にあのうねうねがうねうねとうねるようになってしまうかもしれませんが、御心配なく美術館の係りの女の人が椅子に座ってうねうね愛好家が悪心を抱かぬように監視していましたからさわれませんでした。

世界のうらがわのうねうねに気づいてしまったあなたのために、虚空研究所は日夜うねうねについても考察を続けています。夜の夢の中ですばらしい真理を発見することもありますが、朝の目覚めとともに忘却の彼方へ沈んでしまうのが悲しいです。

 




2004年9月表紙 『晩夏』

夏の思索

 田舎へ帰る途中に、広島は何度も通っているのですが、この歳になるまで平和記念公園に行ったことはありませんでした。今回、小学生の子供のリクエストで、公園を歩き、入館料50円払い、資料館を見学してきました。さて、追悼と反省の公園を一歩出るや、喧騒の巷はやれ高校野球やれオリンピックと大騒ぎです。

 嗚呼何たる愚行! どうしてかくも人類は争いを好むのであろうか! と嘆かずにはおられません。
 諸君!「健全なるスポーツの祭典と戦争を一緒にするな」などというような寝言を言っていると私が瞬間移動で飛んで行って耳元でこの大馬鹿者早く目を醒ませと叫ぶかもしれません。

 私に言わせれば、「勝ち負け」を価値基準にしている点で、スポーツも喧嘩もゲームもギャンブルも戦争も同一の愚行に過ぎません。 その根源には人に勝ちたい人より優位に立ちたい甘い汁を吸いたいと言ったさもしい思いがあるのです。便宜上きめられたルールを一歩足を踏み外せば、悪口を言われて友達を殺してしまったり、ばれなければ薬物で自己の肉体を傷つけてでも勝ちたいと思い、自国に敵対する勢力には難癖つけて強大な武力で攻撃をしかけてみたりしてしまうのです。要するにやったもん勝ちの世界なのです。

  例えば、愚かな少年が憧れるプロ野球選手どもを御覧なさい。きゃつらの馬鹿な脳味噌には高額の年俸を得て、豪邸を建て高級車を乗り回し美女を手中にすることしかありません。それが、きゃつらの目指す人生の成功なのです。そのために毎日棒切れを振り回し球を投げ走りまわり相手チームのみならずチームメイトも蹴落とすべきライバルであり、人を負かそうという呪いの炎を心の中に燃やして悪業を積み、来る日も来る日も戦い続ける阿修羅道でのたうちまわっているではありませんか。これを醜いといわずに何を醜いとするのでしょうか。

 なぜ人類はその醜さに気づかないのでしょうか、そんなさもしい連中を英雄視し成功者と称えるのでしょうか、曰く、弱肉強食適者生存自然淘汰がこの世の習い人は受精の初めから数万分の一の戦いを勝ち残って生を受けると、好戦的な馬鹿どもは言うのです。なぜそんな、餌を探してうろつき回る下等動物レベルで私たちの人生をを語ろうとするのでしょうか。得がたいえにしで人と生まれ、慈悲深いほとけの教えも耳にし、神の子の隣人を愛せよとの諭しも知りながら、人を踏みつけて勝ち負け損得欲望ばかりの迷妄苦界に浮沈せねばならないのでしょうか。

  一刻も早くこの阿修羅世界を抜け出て、美と調和に満ちた世界を目指そうではありませんか。そこへ至る道の第一歩は戦いを厭離することです。そこのアナタ、野球中継なんぞ見ている時ではありませんよ。

 ところで、小学三年生のくせに平和について学ぼうとするとはわが娘ながら天晴れと思いきや、よく聞いて見ると彼女は去年六年生が修学旅行で持っていった全校生徒が折った千羽鶴、それを見つけて自分が折った鶴も有るかどうか見たかっただけらしい。公園にあった膨大な折鶴を見てその望みが世界から戦争を撲滅するより難しいと彼女も悟ったにちがいありません。

 




2004年8月表紙 『目的地の無い飛行』

「案内状は実家に転送されていて受け取ったのは昨日でした。虚空研究所もこの頃閲覧を怠っていたのでムカイの写真展があったことを昨日まで知りませんでした。今は海よりも深く反省しています」という電子通信が届きました。この方は二年に一度こっそりと開催されるムカイの写真展を見逃してしまったのです。何という残念なことでしょう。

まあ、見ようによれば世界中の殆どの人がムカイの写真展を見逃して、戦争やお金儲けや享楽的な楽しみに耽っているともいえるわけで、これはやはり大変残念なことだと言わねばなりますまい。世界の連中はなにをやってるんだか。

確かに何時見ても殆ど変化していないような当研究所の内容ではありますが、しかし読者諸兄、油断大敵、うっかりして虚空を見失うと、貴方の身の上にもこのような不幸がふりかかるやもしれません。 たまには俗界の生活を忘れて虚空観光にお越しください。

当研究所は向井仁志の写真と多田要太の文章で日夜虚空の謎に挑戦し続けています。まあ、成果のほうは遅々として上がらないのですが、虚空というのはそれほど広大無辺だということで、決して怠けているわけではないのですが、私たちの嫌いな言葉第一位は『努力』ですから毎日それなりにということで御容赦いただきますよう。

ちなみに嫌いなことば第二位は『根性』ですね。もちろん

 



すぐ目の前のようでもあり はるか彼方のようでもあり  
向井仁志写真展 彼 岸

2004年7月15日(木)〜7月19日(月)
11:00〜20:00(最終日は19:00)
大東市文化情報センターDIC21
(JR学研都市線住道駅ギャレ・カサレス1F東側)

写真展も今日で終わり。御来場いただいた皆様どうもありがとうございました。

今日は妻が仕事なので二人の子供を連れて会場へ行きました。本屋で子供に雑誌を買ってやり、これを読んでおとなしくして居るのだぞというのだが、彼女らはすぐに退屈して会場内を裸足で走り回る鬼ごっこをするかくれんぼをする乱暴狼藉。おまけに自分は朝からどうも頭がふわふわして調子が悪い。ソファにでろりと寄りかかってだらしない格好で時を過ごす。時々気が遠くなり、人の気配にはっと飛び起きると会場の担当のお兄さんが、「あ、どうぞ寝ててください」と。お昼は近くのハンバーガー屋へ行きました。昼食に行っている間に学生時代の友人が遠路はるばる来ていて、手土産のお菓子だけが置いてあった。しまった。今度から『食事にいってます。すぐもどります』というふだか何かを作っておこう。今回の反省その一。
夕方義父母が写真展に来て子供達を連れて行ってくれる。その後、仕事帰りの妻に手伝ってもらい撤収作業三十分で終えて荷物を今回登場の新兵器コロコロ(荷物を載せる二輪のカートの事)に積んで、もらった花は紙袋に入れて持って帰りました。
途中荷物を入れていたビニール袋(ただのゴミ袋)が破れて中の作品ファイルがべろんとかおをだしてしまった。作品はダンボールで梱包していたのだが、卓上作品のファイルや、芳名帳などをそのままビニール袋に入れていたのです。しまった。いくらコロコロに積んでいるとはいえ、やはりちゃんとした布のバッグのようなものに入れるべきだった。反省その二。次回は荷物をひとまとめにして布バッグか、できれば東京ぼん太の風呂敷に包むこと。
帰宅して熱を測ったら七度二分でした。道理で頭がふわふわするわけだ。作品に関する反省とかはまた明日考えることにして、今日はもう寝よう。

2004年7月19日 記  向井仁志


2004年5月表紙「よるがくる」

四月も終わりのある夜の夢枕に美の女神様がお立ちになり有難いお言葉を囁きなされた。曰く「新快速に乗り西へ向かうべしさすれば美しきものをみるであろう」と。わたしが応えていうよう「そは姫路にて開催中の『アンドリューワイエス水彩素描展』のことならめ。されど我は連休前に『村山国夫写真展』を見てさらに『サラムーン写真展』と新聞屋に只券を貰いたる『マルモッタン美術館展』も見る予定なれば五月は休みに余裕無からん」女神微笑みてのたまうよう「案ずる無かれ汝の願い叶うべし。この頃は醜きものや痛ましきものを見せられることいと多し。心穏やかに生きるためには汝更に努めて美しきもの見るべし」と。さて、引越しも一段落した金曜日、会社が仕事の都合で金曜日に臨時休業となり、 私はこれこそ女神のお告げの通りと姫路市立美術館でワイエスの水彩と素描、習作などを堪能したのであった。
2004.5.30のムカイ 午前中掃除のあと下の子を連れて散歩。下駄履きで首から中判カメラと露出計と予備の35ミリ一眼レフを入れたかばんを下げて。これが最近のスタイル。近くの緑地まで行き子供は下駄脱いで走り回る。お昼から一人で富士フォトサロン「大阪写真月間」の写真展を見に行く。若い人や女の人や三脚とフラッグシップカメラで重武装の爺さんが一杯で怖い。地下のレコード屋でカザルスの廉価盤CD二枚。SP盤の焼き直しCDだからお求め易いお値段なのが貧乏人に有難い。本屋で文庫本『バーナード・リーチ日本絵日記』等。行きも帰りも電車のダイヤが乱れてホームに人が多かった。電車の中では以前から読んでいる『明恵上人集』の続きを読むがすぐに睡魔がやって来るので遅々として進まず。
2004.6.05のムカイ 午後から久しぶりに二眼レフカメラにモノクロフイルムで山沿いの道を歩く。帰宅後友人に借りたビデオを見る。BSで放送された高田渡のドイツ旅行のビデオ。妻子は買い物に出ていて留守。静かな一日 。
2004.6.12のムカイ 病院へ行き毎年恒例の胃カメラの予約。現像液・フイルムの買出し。中古カメラ屋、中古CD屋、古本屋をハシゴ。高梨豊の『町』見つけるが軍資金が足りない。買って帰っても置き場が無い。結局何も買わずに帰る。ちょっとフラストレーションが蓄積される。
2004.6.19のムカイ 病院で胃カメラ。美の女神様があらわれて、というか、ちょっとはやく家を出たので、胃カメラの予約時間までの時間調整でコンビニで雑誌立ち読みをして面白そうな写真展を発見。病院の帰りに鬼海弘雄『PERSONA』と澤田知子『ID400』を見る。 どちらも人間を正面にとらえた写真。『ID400』は化粧と衣装で400人の別人となって撮った証明写真なのだが、その「一人一人」を見ていると、この人には何処かで会った事が有るとか、知り合いの誰かにそっくりだとか思えてきて、恐るべし恐るべし化粧と衣装の魔術。それは『PERSONA』に登場している人びとも負けてなくて、例えば『製本工をしているという人』の六変化に、いやー世の中にはいろんな人がいるもんだなーこの人は写真家に会えて幸せだったんだろうなー、写真家もこの人に会えてすごく幸せだったろうなー、今日ここでこれを見てしまったムカイもひょっとすると幸せなのかもしれないなーと思えるような写真。ひとつ残念だったのは、丁度開催中だった梅佳代の写真展を見逃したこと。これも見ていればきっともっと幸せになれたにちがいない。とはいえ対人恐怖気味のムカイは、写真とはいえ一度に沢山の人と対面して、この日はちょっと変調をきたしたような・・・・

2004年4月表紙「はなにふるひかり」

年の暮れに散髪屋にゆき思うところあるゆえにばっさりと坊主頭に刈って呉れろと言いますと床屋のあるじから何もこの正月まえの寒空に務所帰りでもあるまいに家族はいいと言ったのかと諭されて結局頭のテッペンだけ少し残していわゆる角刈り風におちつきましたが寒風身に染みてユニクロへ行って毛糸の帽子を買って来たものの被って見せると周囲の評判がよろしくないので結局何時もの鳥打帽を被っていましたがそろそろ暖かくなってきた今日この頃伸びてきた髪の毛をばりかんでびびびびびと刈ってしまいたい衝動に駆られています


2004年1月表紙「でるぼうでぱあと」

このところ毎晩
寝床の中で
岩波文庫の「エピクロス」を
読み返しています
彼は人生の師匠のひとりなのです
実は
この文庫本を
二冊持っています
持っているのを忘れてまた買ってしまっただけですけど
新潮文庫の萩原朔太郎詩集も
河出文庫の澁澤龍彦「東西不思議物語」も二冊買ってしまいました
それから
推理小説は読んだ端から忘れてしまうので
一度買うと何度も楽しめます
中井英夫の「虚無への供物」は名作です
誰が犯人か、一体どんな事件が起こったのか
すっかり忘れてしまいましたが
ふとした拍子に
鴻巣玄次!
なんて名前が頭の中にフラッシュバックするばかりで
さて
毎晩読んでいるエピクロスですが
毎晩すぐに眠くなってしまうので
全く前へ進まないのです
忘却と惰眠が
私を







2003年9月表紙
「すねいるおんまいさむねいる」

ちっぽけでありつづけることが
しあわせのひけつだと
しってはいるのです

しかし
せかいは ゆうわくにみちていて
ぼくたちを
ふとらせようと
ありとあらゆるやりかたで
さそうのです

いったい
ぼくたちをふとらせて
どうしようというのか

せかいは
なにを
たくらんでいるのでしょうか


2003年7月表紙
「がらすのめにうつるせかい」

サテ
私たちは
この世界について
何も知らないということを知っている

トコロデ
この世界には
私たちが知らなくてもよいことが
たくさん存在している

アルイハ
私たちが知ってはいけないことが
たくさん存在している

シカシ
私たちは
知ってはいけないことを
そうとは知らずに
すでに知ってしまったのではないか


ハタシテ
我々の研究は神の御心に適うものなのでせうか

どきどき


2003年5月表紙「ぼーる」

あしたよりも
きのう

現実よりも
夢で見た景色

本物よりも
まがい物



美しく感じられるのは何故でせうか

我々はそんなことを研究してゐるのです


2003年3月表紙「はるのひかり」

春です
立春を過ぎると陽光の性質が変化して
私の脳下垂体を喜ばせます
辛かった腰の痛みも
ここ数日は嘘のように忘れていました
まことにありがたいことです
春です
先日テレビ放映された
『エマニエル婦人』
懐かしくて
思わず 録画してしまいました

それはさておき
虚空研究所では
写真や文章によって
我等の内なる虚空を
記録しています
春です


2003年1月表紙「もざいく」

私の胸に開いた穴から現れた
蛸が
私にからみつき
この世界の光を
感じられなくなりそうになったとき
この世界中の
芸術者達の声が
届けられた
かれらは言った
「虚空に充ちる光を見よ」と
「美を賛美する光を感じよ」と

そして
私はこの世界の美を
肯定した
蛸は闇へ逃げ去った

世界の美を探求する
虚空研究所には
主要研究機関として虚空画廊と虚空文庫
が設置されてゐます


2002年11月表紙「黄昏塔」

人は何の為に生きてゐるのでせうか

身を立て名をあげる為でせうか
お金儲けの為でせうか
愛の為でせうか

断じて否であります

我等が人生の目的は
唯ひとつ
心地よく眠ることであります

夜毎の眠りを楽しむ為に
辛い労働を耐え忍び
へいこらと頭を下げ
世すぎ身すぎをしてゐるのです
良心の呵責による悪夢に
眠りを乱されぬやうに
公衆道徳を遵守するのです
総てはこの夜の束の間の眠りの為であります

人は眠る為に生きてゐるのです

貴方の快眠に奉仕する虚空研究所には
虚空画廊と虚空文庫が設置されてゐます

それでは今宵も夢で逢いませう


2002年10月表紙「堤防」

秋の夜長
鬱鬱と眠られぬ儘に人生を振り返り
自分は何と馬鹿であつたことか
さうして今後もこの馬鹿は治りさうもない

悲観的になつてゐる貴方に朗報です
いえいえ馬鹿を治す薬が發明されたわけではありません
虚空天文臺の観測によつて此の世界を構成するエレメントの實に96%が
「馬鹿」
であることが判明したのです
即ち
世界は「馬鹿」で出来ているのです
馬鹿は貴方だけではなかつたのです
これでもう 安心して眠ることができるでせう
因みに残りの4%は「かす」だと云ふことも
判明してゐます

我等の研究所には
畫像によつて虚空を解析する虚空畫廊

文章によつて虚空を記録する虚空文庫

設置されています。


 

2002年9月表紙「車窓」

夢でせうか現実でせうか
嘘でせうか真実でせうか
嗚呼、未だ貴方は
そんなことに拘つておられる
さあ御一緒に虚空へ参りませう
怪しくも物狂おしい混沌の世界へ

我等の研究所には
画像によつて虚空を解析する虚空画廊

文章によつて虚空を記録する虚空文庫

設置されています。


 

2002年8月表紙「夜に遭う」

虚空とは何でせうか
あなたは既に御存知の筈です
あなたの、さうして私の
心の奥底にぽつかりと口を開けている
深淵のことを
さう
虚空は偏在し通底しているのです
当所は
われらの虚空の不思議について
考察しています
さうして、ここには
虚空観測員 
向井仁志の写真
虚空思索員 
多田要太(仮名)による文章
掲載しています