| 2006年9月表紙「奴らの居場所#3」 八月のこと 田舎へ帰り祖母の初盆墓参りビールを沢山飲み本棚から『サブマリン707』を取り出して読み少年時代に遊んだ秘密の海岸をおとない持って行ったフイルム使い果たして帰えりそれから夏ばてしてごろごろと過ごし休日は昼から呑み昼寝し子どもの夏休みの宿題の貯金箱作りを手伝ってあつとゆう間に終わってしまい人生なんてこの調子で気がつけばあっという間におわってしまうんでわ無いかなと思ったりする初秋まだ生きているわたし。 八月の展覧会は姫路市立美術館。あの『ぐりとぐら』の自動車にも乗りました。(八月六日) 九月九日、仕事帰りにエコーへ寄って写真を下ろしました。写真展『こだまのゐるさんぽみち』はこれで終了しました。ご来場、応援ありがとうございました。 わが友眠姫館当主村田兼一の写真展が開催される。九月三十日(土曜日)〜十月十五日(日)十三時〜二十二時。 Subterraneans(http://www.subterraneans.jp/) |
向 井 仁 志 写 真 展 こだまのゐるさんぽみち
2006年6月30日(金)〜7月30日(日) こだまは今でも私達の身近にいるようです。 街の外れの散歩道、石段の上角のむこう、草むら木の根元、 夏の盛りの日陰の闇。 不思議の気配を感じてカメラをむけると 二眼レフカメラのファインダーの隅に シャッタースピードよりも 素早く逃げて行くこだまが…… | なんだかんだで八月が来ました。梅雨も明けました。写真展は無事閉幕となりましたが、ギャラリーの居心地が良かったらしく、写真どもが帰りたくないと言うので、それではもう暫くそこに居させてもらいなさいと、マスターにお願いして、壁にかけたままにさせてもらっています。お見逃しの方はお越しください。(八月二日記) お知らせ 『業務多忙の為七月二十九日・七月三十日を出勤とする』というお達しがあり、写真展の最終日だというのに会場へ詰められないことになってしまいました。両日以外も残業が続き、会場へ行けるのが夜九時前という日が続いています。お会いできないかもしれませんが、会場へお越しいただけますよう。 (七月二十六日記) 六月三十日 定時退社で会場。 七月十九日 久しぶりにほぼ定時退社で会場入り。先日も三重県鈴鹿から来場してくれたマスターの勤め人時代の友人が900ccのバイクすっ飛ばして再来場。昔の苦労話などクヨクヨ話して盛り上がる。 七月二十七日 今日は休廊なので残業八時でまっすぐ帰ったら、妻と子ども達だけで宅配ピザを取って食べていた。遅い帰宅が習慣化しているのだ。 七月三十日 一応最終日。日曜出勤で二時半まで仕事。一旦帰宅後会場へ。梅雨開けして暑い。誰か来るかと思ったが、今日は暇。マスターに写真集借りて眺める。撮り終えたカラーフイルムを現像に出しに行き途中写真撮るなどして過ごし、七時ごろ帰宅。 作品の搬入も早々に済ませて、卓上展示のファイルをのんびりと作りながらモロゾフグラスで焼酎飲んでふとカレンダーを見たら、六月二十七日火曜日。待てよ。木曜日はエコーが休みで、三十日の金曜日が初日と言うことは、明日が設営の日ぢやないか。私の頭の中では初日はまだまだ先のような気がしていたのです。大急ぎで卓上展示のファイルを纏めて、夜中に慌てて金槌やら釘やらさがして、翌日の会社帰りに会場を設営に行きました。最後の最後でばたばたとしてしまいましたが、何とか作品を掛けました。 というわけで、始まってしまいました。御来場お待ちしています。(六月三十日記)
作者の在廊予定 皆様のお手元に案内状がとどきましたでせうか。さてムカイの在廊予定ですが、平日は原則として夕方六時半ごろ。仕事がちゃっちゃと片付けば、無施錠でも盗まれる心配の無い赤いぼろ自転車で駆けつけます。それから自宅で夕食が始まる七時半ごろまでは会場で過ごせると思います。日曜日は午後三時ごろ散歩がてら写真撮りながら会場へ行き、『ちびまる子ちゃん』が始まる頃までいようかなと思います。土曜日が問題で、今のところ七月八日七月二十二日が出勤つまり平日パターン。それ以外は休日パターンの予定なのですが、急な仕事で出勤などという事態もあり得るのでこまりものです。休日、夜間は事前に連絡いただければその時間に会場に居るようにします。ま、夜は大体家に居りますから会場からお電話いただければ無施錠でも盗まれる心配の無い赤いぼろ自転車で即参上します。 ね、家の近くで展覧会できるっていいでしょう。(六月十九日記)
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| 2006年04月表紙 『奴らの居場所#2』
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| 2006年01月表紙 『奴らの居場所#1』 目玉の幸福 |
| 2005年11月表紙 『怪獣の死体』 八月の出来事つづき 十月の出来事 お盆に田舎に帰った時に松山の大街道の交差点で三脚にスプリング駆動のベル&ハウエルらしき十六ミリカメラを据えたかっこいい老人を見かけて以来、心の隅っこでのやのやとムービーに対する思いがくすぶりだしていて、そういえば、最後に八ミリカメラを回してから十年経ったなーと指をおり、愛機フジカシングルエイトZ2を取り出し、備蓄していた最後の水銀電池を入れて見たのだけれど、嗚呼。むごいことに、十年の歳月は電池を放電させ、さらにカメラの露出計と絞りも動かなくなっているではありませんか。 |
| 2005年8月表紙 『卓上#5』 |
| 2005年7月表紙 『卓上#4』 |
| 2005年5月表紙『卓上#2』 鼻詰まりの四月・睡魔の五月 |
| 2005年4月表紙『卓上#1』 先週の土曜日は仕事が休みだったので、一人で糸の切れた凧みたいにふらふらと美術館へオノデラユキ写真展を見に行き、フイルムと薬品を仕入れ本屋と中古カメラ屋をパトロールして内田百?の『有頂天』旺文社文庫版発見して一寸高いが文庫で旧かな使いの内田百?が読めるのは旺文社文庫だけなのでええい買っちゃえと帰宅してテレビでニュースを見たら高田渡が亡くなったと言っていたのでとてもショックを受けてしまいました。その夜暗室で写真を焼きながら、ヘッドホンステレオで高田渡サードアルバム『石』をエンドレスで聴きました。
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| 2005年3月表紙『卓上#3』 |
| 2005年2月表紙『公園』 |
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2004年10月表紙 『夜光塔』 ザムザ氏に会えた十月 家の中の目に付くところから引越しの段ボール箱がなくなるまでに一ヵ月かかりました。まだ物入れの中などには未開封の段ボール箱があったりします。荷物の整理で貴重な休日がつぶれていくのが悲しいのです。これが生活というものなのでしょうか。 世界のうらがわのうねうねに気づいてしまったあなたのために、虚空研究所は日夜うねうねについても考察を続けています。夜の夢の中ですばらしい真理を発見することもありますが、朝の目覚めとともに忘却の彼方へ沈んでしまうのが悲しいです。
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2004年9月表紙 『晩夏』 なぜ人類はその醜さに気づかないのでしょうか、そんなさもしい連中を英雄視し成功者と称えるのでしょうか、曰く、弱肉強食適者生存自然淘汰がこの世の習い人は受精の初めから数万分の一の戦いを勝ち残って生を受けると、好戦的な馬鹿どもは言うのです。なぜそんな、餌を探してうろつき回る下等動物レベルで私たちの人生をを語ろうとするのでしょうか。得がたいえにしで人と生まれ、慈悲深いほとけの教えも耳にし、神の子の隣人を愛せよとの諭しも知りながら、人を踏みつけて勝ち負け損得欲望ばかりの迷妄苦界に浮沈せねばならないのでしょうか。
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2004年8月表紙 『目的地の無い飛行』
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すぐ目の前のようでもあり はるか彼方のようでもあり 向井仁志写真展 彼 岸
| 写真展も今日で終わり。御来場いただいた皆様どうもありがとうございました。 2004年7月19日 記 向井仁志 |
2004年5月表紙「よるがくる」 四月も終わりのある夜の夢枕に美の女神様がお立ちになり有難いお言葉を囁きなされた。曰く「新快速に乗り西へ向かうべしさすれば美しきものをみるであろう」と。わたしが応えていうよう「そは姫路にて開催中の『アンドリューワイエス水彩素描展』のことならめ。されど我は連休前に『村山国夫写真展』を見てさらに『サラムーン写真展』と新聞屋に只券を貰いたる『マルモッタン美術館展』も見る予定なれば五月は休みに余裕無からん」女神微笑みてのたまうよう「案ずる無かれ汝の願い叶うべし。この頃は醜きものや痛ましきものを見せられることいと多し。心穏やかに生きるためには汝更に努めて美しきもの見るべし」と。さて、引越しも一段落した金曜日、会社が仕事の都合で金曜日に臨時休業となり、 私はこれこそ女神のお告げの通りと姫路市立美術館でワイエスの水彩と素描、習作などを堪能したのであった。 2004.5.30のムカイ 午前中掃除のあと下の子を連れて散歩。下駄履きで首から中判カメラと露出計と予備の35ミリ一眼レフを入れたかばんを下げて。これが最近のスタイル。近くの緑地まで行き子供は下駄脱いで走り回る。お昼から一人で富士フォトサロン「大阪写真月間」の写真展を見に行く。若い人や女の人や三脚とフラッグシップカメラで重武装の爺さんが一杯で怖い。地下のレコード屋でカザルスの廉価盤CD二枚。SP盤の焼き直しCDだからお求め易いお値段なのが貧乏人に有難い。本屋で文庫本『バーナード・リーチ日本絵日記』等。行きも帰りも電車のダイヤが乱れてホームに人が多かった。電車の中では以前から読んでいる『明恵上人集』の続きを読むがすぐに睡魔がやって来るので遅々として進まず。 2004.6.05のムカイ 午後から久しぶりに二眼レフカメラにモノクロフイルムで山沿いの道を歩く。帰宅後友人に借りたビデオを見る。BSで放送された高田渡のドイツ旅行のビデオ。妻子は買い物に出ていて留守。静かな一日 。 2004.6.12のムカイ 病院へ行き毎年恒例の胃カメラの予約。現像液・フイルムの買出し。中古カメラ屋、中古CD屋、古本屋をハシゴ。高梨豊の『町』見つけるが軍資金が足りない。買って帰っても置き場が無い。結局何も買わずに帰る。ちょっとフラストレーションが蓄積される。 2004.6.19のムカイ 病院で胃カメラ。美の女神様があらわれて、というか、ちょっとはやく家を出たので、胃カメラの予約時間までの時間調整でコンビニで雑誌立ち読みをして面白そうな写真展を発見。病院の帰りに鬼海弘雄『PERSONA』と澤田知子『ID400』を見る。 どちらも人間を正面にとらえた写真。『ID400』は化粧と衣装で400人の別人となって撮った証明写真なのだが、その「一人一人」を見ていると、この人には何処かで会った事が有るとか、知り合いの誰かにそっくりだとか思えてきて、恐るべし恐るべし化粧と衣装の魔術。それは『PERSONA』に登場している人びとも負けてなくて、例えば『製本工をしているという人』の六変化に、いやー世の中にはいろんな人がいるもんだなーこの人は写真家に会えて幸せだったんだろうなー、写真家もこの人に会えてすごく幸せだったろうなー、今日ここでこれを見てしまったムカイもひょっとすると幸せなのかもしれないなーと思えるような写真。ひとつ残念だったのは、丁度開催中だった梅佳代の写真展を見逃したこと。これも見ていればきっともっと幸せになれたにちがいない。とはいえ対人恐怖気味のムカイは、写真とはいえ一度に沢山の人と対面して、この日はちょっと変調をきたしたような・・・・ |
2004年4月表紙「はなにふるひかり」 年の暮れに散髪屋にゆき思うところあるゆえにばっさりと坊主頭に刈って呉れろと言いますと床屋のあるじから何もこの正月まえの寒空に務所帰りでもあるまいに家族はいいと言ったのかと諭されて結局頭のテッペンだけ少し残していわゆる角刈り風におちつきましたが寒風身に染みてユニクロへ行って毛糸の帽子を買って来たものの被って見せると周囲の評判がよろしくないので結局何時もの鳥打帽を被っていましたがそろそろ暖かくなってきた今日この頃伸びてきた髪の毛をばりかんでびびびびびと刈ってしまいたい衝動に駆られています |
2004年1月表紙「でるぼうでぱあと」 このところ毎晩 寝床の中で 岩波文庫の「エピクロス」を 読み返しています 彼は人生の師匠のひとりなのです 実は この文庫本を 二冊持っています 持っているのを忘れてまた買ってしまっただけですけど 新潮文庫の萩原朔太郎詩集も 河出文庫の澁澤龍彦「東西不思議物語」も二冊買ってしまいました それから 推理小説は読んだ端から忘れてしまうので 一度買うと何度も楽しめます 中井英夫の「虚無への供物」は名作です 誰が犯人か、一体どんな事件が起こったのか すっかり忘れてしまいましたが ふとした拍子に 鴻巣玄次! なんて名前が頭の中にフラッシュバックするばかりで さて 毎晩読んでいるエピクロスですが 毎晩すぐに眠くなってしまうので 全く前へ進まないのです 忘却と惰眠が 私を 私 を わ た し を |
2003年9月表紙 |
2003年7月表紙 どきどき |
2003年5月表紙「ぼーる」 あしたよりも が |
2003年3月表紙「はるのひかり」 春です それはさておき |
2003年1月表紙「もざいく」 世界の美を探求する |
2002年11月表紙「黄昏塔」 貴方の快眠に奉仕する虚空研究所には それでは今宵も夢で逢いませう |
2002年10月表紙「堤防」 秋の夜長 |
2002年9月表紙「車窓」 夢でせうか現実でせうか |
2002年8月表紙「夜に遭う」 虚空とは何でせうか |