漂流手帖は多田要太が見たムカイの日々を記録したものであります。各記事によって表記法や仮名遣いなどがまちまちになっていると思いますが、わざとやっていることです。あらかじめお断わりしておきます。

 

虚空文庫に戻る

 

 

多 田 要 太


目  次
好きになれないものについて
引越しについて
野球嫌いについて
心にいつも流れる唄について
のろまの時間についてあるひは蝸牛をながめる快樂について
魚と暮らす楽しみについて
無法者あるいはうつかり者について
買い物について
日記について
もののこえについて
とても若い女性たちと過ごす毎日について(休日抄について)
夏休みの読書について
鏡の國について
虚空堂前史
私は何もしたくないということについて



それにしても不便な時代になってきました。
何でもあるようで、実は本当に欲しいものが手に入れられない場面が出てきそうです。テレビも今のままで十分だと思うのに、デジタル化するのでアナログは廃止するというし、携帯電話が普及したので公衆電話を減らすというのは携帯を持ちたくない私に対する嫌がらせだなと思うし、映画館は入れ替え制で立ち見も再入場も出来ません。スポーツ新聞や経済新聞はあるのに芸術新聞や哲学新聞がなんでないのか。巻き上げも巻き戻しもピント合わせも手動でレンズマウントとフイルムガイドが金属で出来ていて液晶表示の付いてないフイルムカメラの新製品が何故出ないのか。(これはあるにはあるが残念なことに私が今使っているレンズと互換性が無いのです)

答えはわかっています。私が欲しいと思っても、世の中の沢山の人がそれを欲しがらないからです。儲からないからです。儲からない事は止めて儲かる事だけをしようとエライ人たちが言っています。こんなに便利だこんなに楽しいこんなにお得だこんなにかっこいいとテレビが繰り返しています。それを買えと借金してでも買えと今もっている古いものは捨てて新しいものを買えというのです。新規開発への投資の方が、古い製品の補修部品を作りつづけることよりも大事だというのです。価値基準が、売れるか売れないか、お金が儲かるか否か、儲けて儲けて会社が大きくなり続けなければならぬというのです。人口の減少が問題だというのは詰まるところ物を買う人数が減ったり税金を払う人数が減って儲からないのが問題だと言っているのです。人が減れば沢山の物を作らなくていいから楽だと私は思うのですが。

お金は無いと困るけど、お金儲けが楽しいと思ったことが、今まで生きてきて一度も無いということにこの頃気がつきました。好きなことも、それを仕事にして、お金がからむと面白くなくなってしまうのです。私はお金儲けが苦手です。労働は尊いことだし人に喜んでもらうのも嬉しいのですが、それにしてもお金儲けが辛いのです。だからなるべくお金を使わないで生きようと思うのです。お金を使わなければ無理して稼がなくてもいいではありませんか。

 


ケーテ・コルヴィッツの死神

このところ外出が続いたので週末は家で過ごそうと仕事中ボンヤリと考えていると、突然美の女神がご降臨あらせられた。「あなたは何故『ケーテ・コルヴィッツ展』を見に行かないのか。この土曜日、あなたは姫路市立美術館へ行かなければなりません」 女神はこうのたもうた。「えー、でも何か暗そうだし…なんかいでおろぎいぽいし」私は先日テレヴィの『新日曜美術館』で見たうろ覚えの印象で、こう言い訳した。実のところ司会のはなちゃんばかりボンヤリ眺めていたのでよく覚えていなかったのだが。「愚か者め、あなたはまだ解らないのか」女神は何処から取り出したのか、はりぼての大鎌を振り上げて私を打投擲するのであるが、周りの人には彼女の姿は見えないので、またムカイさんひとりごというてはるわという顔で、私と眼をあわせないのであった。
 で、今年最後の休みの土曜日。電車に乗って姫路へ行った。

壊れてゆくものについて

 ムカイが愛用する一眼レフカメラの一台に、旭光学製のペンタツクスMEがある。もう十年ほども前に中古で購入したものだ。発売当時世界最小の35ミリ一眼レフカメラがうたい文句だった。ボデイが小さいので機能的には必要最小限に絞り込まれている。シヤツタは電子式で一秒から千分の一秒と機械制御のバルブと百分の一秒で、絞り優先オートのみ。被写界深度確認ボタンなし。もちろんピント合わせも巻き上げも巻き戻しも手動だ。ペンタツクスというメーカはこういった割り切ったカメラを作らせるとうまい。とムカイは思う。
 さてこのMEは思想的には名機なのだが、ムカイの手に入れた機体はどうやら機械的にハズレだったらしい。買って暫くしたら、シヤツタダイヤルのプラスチツク部品が割れてしまった。それは接着剤でくっつけて事なきを得たが、ある日気付くとセルフタイマのレバが無くなっていた。以前から螺子が緩みがちであったが、移動中に欠落してしまったのだ。これでは記念写真が撮れないが、セルフタイマで撮るのは年賀状用の写真くらいで、これは一番古くから使っているペンタツクスKMの仕事と決まっているので日常業務になんら支障は無いということに気付いた。ボデイ前面に間抜けな螺子穴が開いているのは不細工だがカメラを構えていれば手で隠れるし、撮っている本人にはもちろん見えないので平気だ。と思っていたら今度は駒数カウンタが動かなくなった。フイルムを巻き上げると、五枚目くらいまではカウントするのだがそれ以上は何枚撮ったかわからなくなってしまう。これはちょっと困った。ここぞという時にフイルム切れなんてことがあるわけだ。しかし、使っているうちに、気にならなくなってしまった。だいたいムカイの写真に「ここぞ」なんて瞬間があろう筈が無い。むしろ彼はそれを外そうとしているふしがある。何枚か連続して撮った写真があったとして、そのうちの一枚が世間的にいわゆる決まった写真になっていたら、ムカイはその前後の決まらない写真を作品としてプリントしてしまいたくなるような奴なのだった。とにかく巻き上げられなくなったらフイルムを交換すればいいだけの話ということで納得するムカイだった。しかし更なる悲劇的な運命がムカイとMEを待ち受けていた。電子シヤツタの不調である。暫く前から、露出不足や露出過度の写真が出るようになって、変だなと思って注意しているとどうやらシヤツタ速度がいつも同じになっているようなのだった。ファインダ内の表示が五百分の一秒だろうと八分の一秒だろうと同じシヤツタ音がするのだった。時々正気に返って、正しい速度で動くこともあるのだが、測光データに関係なくマニユアルスピードである百分の一秒で切れているようだ。もうだめだ。とムカイは思った。修理に出せば直るだろうが、修理に出す費用で中古の同等品が買えてしまうだろう。でもMEと同年代の製品は耐用年数がそろそろという感じで、買ったとたんに何処かが壊れてしまうような気がしてならない。これ以上カメラを、それもまともに動かないカメラを増やすのはいやだ。とはいえ現行のカメラには魅力を感じない。プラスチツクのボデイは嫌だ巻上げがモータなのが嫌だオートフオーカスが嫌だカウンタ部が液晶の表示なのがいやだ。と鬱々と数ヶ月悩んだムカイは、あるとき思ったのだった。このままでよいではないか。マニユアルシヤツタの百分の一とバルブがあれば十分ではないか。あとは絞りとフイルムのラチチユウドで何とかなるではないか。レンズ交換が出来る写ルンですだと思えば気楽なものだ。


好きになれないものについて

 いまさらなのだが、ムカイはコンピュータが好きになれない。波長が合わないというのだろうか、悪い奴じゃないんだけど、一緒に居ると疲れる知り合いのような存在で、未だに打ち解けられないのだ。電源をいれるや鳴り物入りで扉を開けて、『ようこそ』なんて言われるのは居心地が悪い。単なる処理・作業を『魔法』なんて言う厚顔無恥、灰汁の強さが鬱陶しい。何でも出来ますと自信たっぷりなので、実際にやらせてみたらすぐに『お手上げです。もうかえります』といったりして信用がならない。

  どうも胡散臭い奴だと思っていたら、昨年の夏ごろ、『重要な更新』とやらをしたころから、ますます付き合いにくい奴になってしまった。『コンピュータが危険にさらされているおそれがあります』という脅迫めいたフキダシが現れて、『モンダイを解決するには今すぐここをくりっく』等と言うのでやってみるとウイルス対策ソフトのリストというか、要するに広告が出てきて『どれか買え』というわけです。つまり鍵がへなちょこの欠陥住宅を売っておいて、後からドロボーに入られない為に警備会社を紹介しますと言うているわけやね、ビル。と嫌な気分になってしまったムカイだった。

 とはいえ小心者のムカイが鍵のかからぬ家に安住できるわけも無く、適当な対策お試し版を注入したのだが、その警備員がいちいちメールやサイトをチェックしているらしく、コンピュータの動きがとろくさくてかなわん状態になってしまった。また警備員に警備会社から病原菌の新情報が随時送られてきてこちらの作業が中断させられたりして不愉快を感ずることも少なくない。お試し版の期限が近づくと『正式版を買え』と電源を入れる度にフキダシが現れる日々が続き、憂鬱がいやまさるムカイだった。

 スキャナは使っているが、読み込みの度に、ぶちょーきょりゅるるるといううるさい音がして憂鬱になる。プリンタは持ってない。暗室が広くなったので、プリンタが何台も買える金をはたいて引伸機を新調したのに、インクジェットプリンタを買う気はないのだった。好きになれないのだ。印刷されたものの色も画質も耐久性も手触りも。さらにプラスチックで出来たプリンタ本体の質感も形も嫌だ。あれば便利だろうと思うこともあるし値段も安くなっているのだが、買う気になれない物体のひとつだ。同じ値段で銅版画用のエッチングプレスが売られていたらきっとそっちを買ってしまうとムカイは思うのだった。

 好き嫌いの多寡でいえばこれからますます嫌いなものが増えてきそうな情勢だが、ムカイは世の中とどう折り合っていくつもりなのだろうか。新しいもの嫌いという損な性格が不憫でならない。(2005.2.12)


引越しについて

 この五月の一日にムカイは引越しをした。八年の長きにわたって我等の妄想を紡いできた虚空堂が、建物の老朽化と白蟻による侵食、更には地域の下水道整備による便所の水洗化に伴い、この際思い切って建替えることになった。お金がかかることや面倒なことが本能的に嫌いなムカイであるから、この計画が決定するまでには様々な紆余曲折と多大なる外圧などがあり、詳しいことはさしさわりもあろうから省くけれど、 ともかく白蟻、蛞蝓、蝸牛、藪蚊、御器被、芋蟲、毛蟲、団子蟲、野良猫どもの天国であった築三十年余の古家はこの地上から姿を消すことになった。

 家がなくなると住む所に困るので建替えの間の仮住まいを捜して、街の不動産屋を訪ね、隣の地区にある二階建ての長屋を紹介してもらった。今の住まいよりかなり狭いので入らない荷物…その殆どは本であるが、をなんとかせねばならない大部分は引越屋に預かってもらうが一部は思い切って処分する。また建替えによって不要に成る家具…衣装箪笥や本棚を新居では造り付けにする計画なので、この際処分することにした。勿体無い話ではあるが、リサイクルするのにもエネルギーが要るので、疲れることが何より苦手なムカイは本は古紙回収に出し家具は家と一緒に解体することにした。本に関しては以前愛読した本を身を切る思いで古本屋に売りに行ってけんもほろろの扱いを受けたこともあり、それならいっそくずやに払ってしまえとなった次第。長年読み貯めた特撮関係の雑誌やらもう二度と読まないだろうというような文庫の推理小説やらをだして数十円。嗚呼。

  さて引越し。ムカイの妻が何社か見積もりを取るといって、此処へ引っ越してきた時に依頼したD社、大手のN社、ベタなテレビCMが嫌でムカイは嫌っている大手S社、妻がインターネットで見つけてきたH社とあともう一社印象の薄いE社と、妻の意向で何と5社から見積もりを取ったのだが、それらの担当者がやってきた日、ムカイは近来稀な高熱を出して脱水症状をおこしながら二階で寝込んでいて、入れ替わり立ち代り営業マンがやって来て何か言っているらしかったが夢うつつの状態で何も判らないままだった。結局大手N社は王様値段で折り合いがつかず、前回依頼のD社は営業が頼りない感じでダメ。ベタなS社は営業がベタでヒツコイのが嫌でやっとの思いで断り、見積もり特典の無洗米三合だけもらい、印象の薄いE社は印象の薄いまま何処へともなく消えて行き、妻の捜してきたH社が家財の預かりサービスが他社に抜きん出ていたことで契約となった。

 引越しといえば電気ガス水道新聞郵便電話等の手続きがあるが、たいていのものは電話一本即完了なのであるが、特記しなければならないのが電話。NTT大王様のことだ。庶民ムカイが、仕事の休みである連休中に引越しをしようと考えたわけであるが、なんと、NTT大王様は「連休中は休む」とのたまうので、仕方なく庶民ムカイは妻が4月30日に半日仕事を休んで工事に立ち会うことになった。「何時頃になりますか」と予定を問い合わせると大王様は工事担当者がいかに難しい仕事を次々にやり遂げねばならないかを滔々とまくし立て、詰まるところ何時になるかは「朕は知らぬ!」と言い放ったという(ムカイの妻談)。いまどきこんな殿様商売をしているサービス業が在ったとは。固定電話の需要が減るわけだと嘆息するムカイであったが、彼は携帯電話というのはまだ歴史が浅すぎてスタイルとして格好悪いものという認識があるので持ちたくないのだという。いんたーねっとのぷろばいだも、「NTTの局内工事が終わり次第ご利用いただけますので、連休明けですね」などというので、困ったもんだとおもったが、引越し数日後に繋いで見たらちゃんと繋がった。しかし、いんたーねっとに繋がなかった数日間は何となく時間を得したような気がするムカイなのだったりする。

 引越し当日は三人の若い引越屋が二トントラックでやって来て、ムカイと妻が何日もかけて箱詰めした荷物をあれよあれよというまにトラックに詰め込んでゆく。引越し先に持ってゆく荷物を纏め、妻が書いた下手糞な絵地図を持ってトラックは袋小路になった狭い道を何の苦も無く引越し先まで運んでゆき、瞬く間に荷物を指定の部屋に下ろすや、取って返し、預かりの荷物を積み込む。すごーく一杯あるような気がしていた蔵書が、トラックに詰め込むとほんの少しに見えてちょっと悲しくなるムカイであったが、新居完成の暁には、それらがまた帰ってきて、毎晩泣きながら開梱と整理に追われるのだと思うと、いっそこのままトラックが千尋の谷底へ転落してもいいかなとおもったりもするのであった。ともかくも「 引越しなんて自分たちでトラックを借りて運べば安く上がるのにおまへ達は何でも金をかけて」などという苦労人様がいたりするのだが、いえいえ人にはできることと出来ないことが歴然とあるので、やっぱり無理をせずに、人にやってもらうのが良いのだと、面と向かって言いませんが心に思うムカイだったりする。

 さて引越しも終わり、仮住まいでの生活が始まるわけだが、どうせ秋にはまた引っ越すのだからと、必要最小限の荷物しか開梱せず、食器なども最低限度食器棚に並べてみると、これがなかなか快適な眺めで、どうして今まで沢山のガラクタを食器棚の中に大事に仕舞い込んでいたのかと不思議に思える。二階の寝室は四畳半で、親子四人分の布団が敷けないので大人の布団二つと子供の布団ひとつ敷いて、どうせ子供は寝相が悪くてごろごろ転がりまわるのだからと、殆ど雑魚寝状態だが、結構快適だったりする。 ひとつ困ったことは、いや、別に日常生活には困らないのだけれど、辞書を預ける本の中にみんな入れてしまったこと。一番でっかい日本国語大辞典縮刷版は置き場がないから初めから預ける予定にしていたのだが、広辞苑と小さな国語辞典、漢和辞典を中、小二冊とも預ける方にいれてしまって、手元にあるのはキオスクに売っているみたいなポケットタイプの小さな国語辞典が一冊と、小学生向けの漢字字典が一冊あるだけ。頻繁に使うわけではないが無いと妙に意識してしまい、心許ない気持ちがするムカイなのだった。この際だから新明解でも買うかなどとふっと思ってしまう業の深さ。ミニマムな生活は未だ遠いムカイだったりする。 (2004.5.23)

  


野球嫌いについて

 春の憂鬱の原因は、花粉症による目の痒みや日照時間の変化による脳下垂体の変調などもあるけれど、何にも増してムカイを不快にさせるのは野球シーズンの開幕だった。

 「運動は体に悪い」がムカイの持論だが、別けても彼が嫌いなスポーツが野球だった。幼い頃から彼には野球に関してよい思い出がないのだ。

 保育所に通っていた時、なぜか保母がテレビの野球中継を園児に見せたことがあった。巨人と阪神の試合だったろうか、他の子供たちは「どっちが勝つかなー」などと無邪気に楽しんでいるのにムカイは「そんなものはつまらん見たくない」とぶつぶつ云い続けて、しまいには怒った保母に「そんなに云うなら見なくていい」と云われてしまったのだった。それ以来彼はテレビの野球中継を見ないようにしているという。

 彼が小学生の頃は野球嫌いの人間に過酷な時代だった。夢と驚きに充ちていた怪獣ブームが終わり、やってきたのはいわゆる「スポ根」の時代。血と汗と涙にまみれてスポーツをすることが尊いことだという思想がはびこった暗黒時代があの『巨人の星』 とともにやってきた。今では、いち野球チームに偏執的に拘ったヘンな親子の爆笑アニメに過ぎないことが判るけれど、放映当時は、根性だとか努力だとか、肯定的に捉えられ、殊におやじどもが夢中になって、野球嫌いな息子は多大な迷惑を蒙ったのだった。ちなみに「特訓」と称して事あるごとにやらされていた「うさぎとび」が体に悪いと云うことは今日では常識になっている。

 中学高校大学と、学校におけるクラブスポーツにムカイが関わることは無かった。運動部特有の妙に濃密な先輩後輩のつきあいにみられる不自然な連帯意識を強要される『勝つことが目的の集団。何が楽しくてみんなそんな不気味な世界に身を投じるのだろうとムカイは不思議でならなかった。
 就職の面接でも、ある会社の担当者が「野球をしないようなものを採用するつもりはない」と云うのに吃驚させられたり、バイトから正社員になった会社でも、年に一度の社員レクリエーションはソフトボール大会で、バットの持ち方もルールもわからないので沢山の恥をかいたが、どうせお遊びだからと、ベンチでビールを飲んでへらへらしていたら、これで野球を見てもっと勉強せいと、特別賞の液晶テレビ(白黒)を表彰式で貰ってしまったが、もちろんムカイがそんなもの見るわけが無いのであった。

 スポーツをするのが体に悪いのは論を待たないところだが、スポーツ観戦が楽しいなどと云う人がいるのがムカイには理解できない。数万人の人間がひしめく野球場まで出掛けるなどと思うだけでそのストレスはいかばかりであるか。さらには、球場で騒ぐ、テレビの前でよっしゃーと云う、川に飛び込む、解説者か監督か球団オーナーか選手の友達かのような口ぶりで選手やチームの出来を論じる、あらゆるチームの選手の過去のデータを滔々と述べる、球団のマーク入り商品や不気味なマスコットなど、何でそんなセンスの悪いものをと驚くようなものを買い集める、鏡があると何処ででも投球やバッティングフォームを真似る、といった尋常ならざる行為がなぜに行われるのか。さらにはスポンサーの御好意と称して、あらかじめ定められた放送スケジュールを一方的に変更するのか、なぜ野球がそんなに優遇されるのか、どうして野球が嫌いだと云うと変わった奴だと言われるのか協調性がないと云われるのか。

 そんなある日、ムカイの小学生の娘が、楽しみにしていたアニメが野球中継の為に放送されないと知ってショックを受けて泣いていた。ムカイは何時になく優しく娘に云うのだった。「その気持ちお父さんには痛いほどわかるぞ。さあ、お前もお父さんと一緒に野球嫌いになろう。初詣に行ったら、忘れずに祈るのだ。『家内安全。世界から争いと、貧困と、野球が無くなりますように』と……」
(2004.4.20)


心にいつも流れる唄について

 居間のステレオでムカイがCDを聴こうとしたとき、床に寝転んで指をしゃぶっていた彼の五歳になる娘が、その指をぷちゅっと口から引き抜いて、こう云った。「おとうさん。また、あがた森魚か」

 ムカイにとってあがた森魚は中学生の頃から聴き続けている大切な音樂家で、たとえば季節の変わり目など折に触れて聴きたくなるような曲が何曲もある。この時は夏を迎える毎年恒例の儀式として『日本少年』の一枚目(オリジナルLP盤ではA・B面)を聴こうとしていたのだった。

 昔、レコード盤を買うと、レコードマンスリーという結構分厚い小冊子がオマケについていて、そこでムカイは、あがた森魚の『日本少年』の広告を見つけたのだった。これこそ自分が求める世界だとムカイの第六感は確信したのだが、ビンボーな彼はレコードを買うお金が無かった。そこで友達のマツノを言葉巧みにそそのかして、彼に買わせたが、彼の指向は南こうせつとかぐや姫あるいは吉田拓郎といった方面だったので、案の定マツノは「『山田長政』をかけたら姉ちゃんに笑われた。これはどうも自分の求める音楽では無いようだ」と云いだした。それこそムカイの思う壺で、ムカイはさも気の毒そうに自分の小遣いありったけをはたいてマツノから、定価の半額程で『日本少年』を引き取ることに成功した。

  そこから遡って高校・大学時代に『乙女の儚夢』『噫無情』を聴き、『僕は天使ぢゃないよ』、ヴァージンVSのあたりから暫く遠ざかっていたのだが(そのころは何故かブルース・スプリングスティーンとローリングストーンズがテーマミュージックだった)『永遠の遠国の歌』に仕事の帰りにふと立ち寄った宇治のレンタルレコード屋のLPレコード処分セールで出会ったのだった。

  現実生活という戦いに疲れ果てていたその頃のムカイの心に慈雨となってあがたの歌が染み渡った。『水晶になりたい』である。『春の嵐の夜の手品師』である。『いとしの第六惑星』である。中学時代に訳もわからず読んだ、稲垣足穂に通底する、自分の帰るべき世界がそこに在ったのである。ファンクラブに入会し、『バンドネオンの豹』から『雷蔵』にかけてはコンサートにも何度も足を運んだものだった。今でこそ体力と資金と時間が思うにまかせず、折々のファンクラブ会報に出ているコンサートの情報や演奏された曲目を見てはううむとうなるばかりなのだが。

 「おとうさん、わたしら すまっぷ ききたい」と娘は云った。
  わたしら、とは彼女とその姉と彼女たちの母親も含めた、この家に暮らすムカイ以外の全員を意味している。ムカイは自分が、ここにおいてすらも少数派であることを思い知らされるのであった。五歳児が数を笠に着て恫喝するか!とムカイは怒りを覚えたので「SMAPなど聴かせてやるものか」と云ったら、「おとうさん、ケチやな」と云って、さも退屈そうにまた指を吸いだした。
 「まだ人間になって五年しか経ってないくせに、この態度は何だろうね」とムカイが妻に云うと、妻は、あのごろんと寝転がっている姿はムカイにそっくりだ。というのであった。娘たちは自分たちの名前が、ムカイの好きなあがた森魚の歌詞にちなんで付けられた事を未だ知らないでいる。
(2003.10.10)




のろまの時間についてあるひは蝸牛をながめる快樂について

 働くにせよ遊ぶにせよ、時間の流れが速すぎて疲勞を感じるムカイである。職場でも始業前から終業後まで働いてもまだやりのこしが出るし、暗室で寫眞を焼いたり、文章を書いたりしていても、時間が過ぎるばかりでちつともはかどらない。だうして友人たちは毎月ホームページを更新できるのだらうと不思議でしようがない。時間の流れは加速度的にはやまり、膨大な情報は活字や映像や音声やデヂタル信號やテレパシーによつてムカイにもたらされ、もはや彼はそれを処理しきれなくなつてゐる。

 世の中の流れが速すぎるとムカイは云ふのであるが、世間を眺めるに、世の中が速いのではなくて、ムカイが遅いのである。
  いまや人類は傘をさして自転車に乗り乍ら携帯電話でメールを打てるまでに進化してゐるのである。百年余以前には車輪が二つしかついてゐない乗り物に乗ることだけで最先端だつたことを思へば、人間は恐ろしいほどの能力を身につけつつあると言はねばなるまい。ところがムカイたるや、未だに傘をさして自転車に乗るのが嫌だという始末。何時だつたか猿回しの猿が傘をさして自転車に乗つてゐたから、ムカイは猿並みと言ふわけで、そのうち猿が携帯の使い方を覚えたら彼は猿以下になつてしまふのだ。

 象と鼠は別々の時間を生きていると言ふが、一般人とのろまも別の時間を生きてゐるのである。只残念なことには、時間が違ふにも拘らず同じ霊長類ヒト科なので多くの場合、少数派であるのろまの方が一般人の時間に合はせて生きることを強いられて、とろいとかにぶいとかおそいとかどんくさいとか様々な形容詞で言はれてしまうのである。

 同じ世界に存在しながら、別の時間を生きているので、一般人にはのろまが、まるで石ころや木切れのように見ゑるらしい。のろまなるがゆえの孤独。他者と波長が合わない。のろまがその孤独な境遇から逃れる為には、この広大な世界でもう一人ののろまに巡り会ふという僥倖に期待しなくてはならないのだ。

 さて此の頃、ムカイはかたつむりを飼い始めた。さうしてその徹底的なのろまさに感動することしきりであつた。かたつむりは周囲に自分を合はせやうと言ふ気持ちを微塵も持ってゐない。ムカイが餌を与へても、食べたくなければ殻に閉じ籠つた儘出てこなゐ。恐らく彼にとつて尤も重要なことは、快適な気温と湿度であって、即ちその環境が気に入らなければ彼は何時までも殻の中に閉じ籠つてゐるのであらう。その小さな超越者は、しかし、時が来れば今までの断食修行が嘘のやうに瑞々しく柔軟な肉体を伸縮してきゃべつやきゆうりの上でゆつたりと舞をまふのである。

 ムカイはこの小さな哲学的舞踏家をながめる快樂を知つた。さうして、この仙界からやつてきたかのごとき生物に憧れとも羨望ともつかぬ思いを抱きつつぼーつとながめて時をすごしてしまふので、愈々世界の時間からずれていくのであつた。(2003.8.31)




魚と暮らす楽しみについて

? チビスケとの暮らし

 イトー店長が云った。「ムカイくん彼女もいないことだし、熱帯魚でも飼ってみたらどうだい。生活に潤いが持てるとおもうよ」
 そこでムカイは店長に熱帯魚の飼い方の本を借り、休みの日にバイクに乗って駅の近くの熱帯魚屋で一匹の熱帯魚を買った。体長4センチ程の、頭ばかりでかくて体の痩せた感じの、アストロノータス・オセレイタスの稚魚。店の水槽で沢山の稚魚が顔をこちらに向けて忙しそうに上下運動を繰り返していた中から、ムカイは適当に指差して店員に一匹掬ってもらった。

 それがムカイが魚と暮らす楽しみを知った最初。もう、ずっと昔。ムカイがコーヒー屋のアルバイトしていた頃の話。

 水槽の魚を眺め暮らすなど、当時よく言われていた『ネクラな趣味』だと思っていた。店長に貰った45センチの水槽に買ってきた稚魚を泳がせてみると、その妖しい魅力に気づき恍惚となった。もうおわかりのことと思うが、趣味はネクラなほど面白いものなのだ。

 隣室に置いた水槽からしゃらりんしゃらりん音がする。立っていって見ると音は止み、魚もなにくわぬ顔をしている。こっそり襖から顔をだして観察して、その正体を突き止めた。魚は口に底砂を含んでは水面近くに浮上し砂を「ぷ」と口から吐き出す遊びを、営巣本能による行動に起因するもののようだが、飽かず繰り返して、その砂が怪音を発していたと云うわけだ。

 無表情な魚が硝子と水の向こうからこちらを見ている。ムカイはある日その視線に気づいた。見る見られる関係、飼う飼われる関係は決して絶対的なものではないような気がしてきた。

  ムカイはその魚を『チビスケ』と名付けた。一人暮らしの生活の中で感じる他者の視線。しかしそれは例えば人やイヌ、ネコのように自分と空間を同じくするものではなく、空気中と水中という異なる世界の間で交わされる視線。その静かな交感の妖しい魅力。ムカイはその魅力に気づいた。チビスケはテトラミンフレークやメダカやキンギョを食べてすぐに体長10センチくらいになった。

 ムカイはアルバイトから正社員になり転勤が決まった。会社の寮に住むことになった。慌ただしい引越し。チビスケは店長に頼んで店の水槽で暫く預かって貰うことにした。が、そこには先住のオスフロネームス・グラミー『シゲチヨ』が居た。 チビスケを水槽に放すや、シゲチヨが襲いかかる。ムカイは隠れ場所になるようにと植木鉢を水槽に入れてやったが、チビスケの、これから始まる辛い日々は明らかだった。

 ムカイにも辛い毎日がまっていた。それまでのコーヒースタンドではない、広いフロアーのある喫茶店の勤務。 社交性に乏しい性格も災いして肉体的にも精神的にも疲れ切っていた。
 「ムカイくん、明日の晩チビスケを連れてゆくから今日仕事が終わったら水槽を用意するように」ある日、イトー店長から電話があった。久々の再会。バルクアイスクリームの容器に水を入れた中で、チビスケは体を斜めにしていた。 シゲチヨの攻撃で鱗のはがれた腹が痛々しかった。

 またムカイと暮らすようになって、チビスケの腹の傷は見る間に恢復した。真っ黒な体に発光するように金赤の鱗を散らした姿は何時まで眺めても見飽きることがなかった。

 冬を越してチビスケはひとまわり大きくなった。体色は黒から艶消しの緑色がかってきた。成魚になったということだろう。時々底砂を口に含んで吐き出したりしているが、買い換えてやった60センチ水槽の中でじっとしていることが多くなった。

  ある時、水槽に背を向けてワープロを打っていたムカイが急に振り向くと、気配に驚いたチビスケが身を翻し、揚水パイプに頭をぶつけ、体色を真っ白にして底に横たわってしまった。ムカイが驚いて見ていると、暫くして元の色になって泳ぎだした。頭に擦り傷ができていた。至って無表情な生き物ではあるが、体の色がそんな風に変化するのである。怒っていたのか照れ隠しか、チビスケは揚水パイプに噛み付き攻撃を繰り返した。

 チビスケが死んだのはその年の秋。夏の間止めていたヒーターを入れるのが遅くなり、風邪をひかせてしまったらしい。そのうち鰓に白い黴状のものが出来て餌を食べられなくなった。
  メダカ程度の大きさの魚なら死ぬときはぷかっと浮かんで一瞬で終わりなのだが、なまじ体が大きくなると体力があるだけに中々死ねない。見ているこちらが、痛いんじゃなかろうか苦しいんじゃなかろうかと気を揉むが、当の魚は無表情を貫いて死んでいった。

 仕事帰りにホームセンターで小さなスコップを買って、寮の玄関脇の植え込みの根方に穴を掘ってチビスケを埋めた。

 魚を飼う楽しみは「鑑賞」「繁殖」「死んだら食べられる」だと誰かが云った。繁殖と食べる楽しみは果たさなかったが、代わりに「鑑賞される」楽しみもあると思うムカイであった。


 

無法者あるいはうつかり者について

 実名を書くのも気の毒なので仮にム氏とでもしておこう。

  春になつて仕事が暇になつたム氏はその日会社を定時に出て駅まで自転車を飛ばし、電車に乗つてO市の某ギヤラリーで開かれていた写真展を見に出掛けたのであつた。
  写真展を堪能して、書店に立ち寄ると、ム氏が前から欲しいと思つていたマイケル・ケンナの写真集『日本』があるではないか。丁度手持ちの軍資金があつたので、彼は、思い切つてそれを買つてしまつたのであつた。

 その帰りのこと、ム氏が駅のホームへ着くと丁度電車が入つてきた。何とグツドタイミングと電車に乗り込めばこの時間にしては空いた車内。さすがに座席は空いていなかつたので、彼は開かない側のドアに寄りかかつて手に提げた二重の紙袋に入つた写真集の重みを楽しんでいた。この状態では紙箱入りクロス装秩入りの写真集を広げようとは思わなかつたけれど。嗚呼、ム氏は明らかに興奮状態にあつたのである。

 さて彼が自分の置かれた異常事態に気づいたのは、いくつめかの駅を過ぎてあるターミナル駅に電車が着いたときであつた。ここでは降りる人も多いので運が良ければ座席が空くかも知れない。手に提げた紙袋もいささか重くなつてきたのであった。

  ふと、ム氏の耳に車外で叫ぶ駅員の声が聞こえた。
 「この車両は女性専用です
 この車両つて、この車両かい? と辺りを見回せばなるほど この車両でした。何となく冷ややかな雰囲気で周りの女性たちは見て見ぬ振りをするもム氏はいたたまれない状態に追い込まれてしまつたのであつた。ム氏は心のなかで「お呼びでない?お呼びでない……こりやまつたシツレイいたしましたつ」と昭和時代の叫びをあげながら女性たちをかき分けて隣の車両へ逃げ出したのであつた。

 さてその夜、帰宅したム氏が家人に「実は誤つて女性専用車両に乗つてしまつた」というと、家人は、自分が乗つているときにも男の人が乗つてくることがあつて、本人は気がつかない様なので、無神経、鈍感、厚顔無恥、破廉恥、という念波を送つてやるのだが、よもや私の身内にそんな恥ずかしいことをしでかす人間がいようとは! と呆れ返つたので、ム氏は一層肩身を狭くしたのであつた。
(2003.4.16)


 

買い物について

 このところ仕事が忙しく、休みの筈の土曜日も軒並み振り替え出勤となり、日曜日や祝祭日のたまの休みには決まって天気が悪いときては精神的に煮詰まってしまうムカイであった。
  そこで、彼は妻の提案に従って家族で雨の降る日曜日電車に乗って町へ買い物に出掛けた。とりあえず、ぱーっとお金を使って憂さを晴らそうという目論見であるが、日ごろから消費に罪悪感を抱きがちな性格なので、なかなか思うようにはならないムカイであった。
  まずは家電とカメラの某量販店へ行き、妻子をアイスクリームスタンドに待たせておいて売り場をパトロールする。どかーんとカメラでも衝動買いできれば彼も大物だが、切れかけていた写真の材料をちまちまと買う。フイルムも買っておこうかと思いつつも、ついつい「いや未だもうすこし在庫があったから」などと 思い直して手に取っていたものを棚に戻したりなんかして、ああ、だんだん自分のことが嫌いになってきそうなムカイであった。
 まあ今回のメインイベントはカメラ屋ではなくてこれから行く本屋の方だと気を取り直す。そうだ、久しぶりにほしい本があるのだ。 まず第一にアレン・セイの絵本『おじいさんの旅』。こないだの新聞にやっと邦訳が出たと書いてあったので、もしも大きな本屋に出掛ける僥倖に恵まれたなら忘れずに購入しようと心に誓っていた本。それから、先日近所の本屋で立ち読みをしたカメラ雑誌で、マイケル・ケンナの新作写真集が出たという情報を得て、これは買いぢゃと心に決めていたというのに、大きな本屋の何処にもお目当ての二冊が置いてないのはどういうことでしょうか。苦し紛れに児童書のコーナーの隅で見つけたピンホールカメラの作り方の本を買ってしまったけれど、こんなことで満足出来るわけのないムカイであった。
 さらにマンガ本の売り場で何か無いかと探して、森雅之の『メゾフォルテ』を見つける。だいぶん前に出ていたらしいがぜんぜんしらなんだムカイであった。
  それから、以前友人に勧められて探していたのだが見つけられなかった花輪和一の『刑務所の中』が映画化されたものだからそこらに平積みされていて、帯に割引券までついていたので買ってしまうムカイであった。
 それから、ああそれから、もう欲しいものがないという事実に直面して愕然いや悄然とするムカイであった。仕方が無いので、本屋の近くのカメラ屋でデジタルカメラのカタログを貰ってきて、帰りの電車で読むのだが、どれもこれも「オープン価格」では消費の意欲が萎えるばかりのムカイであった。 (2003.02.22)

 


 

日記について

 ムカイが日記をつけ始めたのはそう昔のことではない。だから若い頃、たとえば学生時代のことなど、今となっては毎日何をしていたのやらさっぱり判らない。そのころ使っていた学生手帳をみても、試験の日程や休暇の日程ぐらいしか書き込みがない。
  もちろん、そのころから、あふれ出る妄想と、とどまるところを知らぬ欲望のはけ口としてのノートは持っていて、今となっては読むのが恥ずかしいようなたわごとを飽きもせずに書いたものだが、それは記録ではなくて創作と分類されるべきものだろう。
  もうひとつ記録媒体としてムカイは中学時代から写真を撮り続けているが、そちらのほうも、撮影の日時や場所がきちんと記録されだしたのはここ十数年に過ぎず、それ以前のものは、断片的な映像でしかない。ネガを見ても撮った本人が「?」状態である。
 まあ書くに値しない日々と言ってしまえばそれまでなのだが、記憶を何らかの方法で保存して後の参考にするという人類の発達の重大要因を放棄していたかつてのムカイの日々は、いわばイヌ並みの、条件反射によって獲得した延髄だか大脳旧皮質だかに蓄積された断片的な記憶にしかよるべの無い人でなしの日々と言わざるを得ない。
 ところが、それらの文字以前の本能的記憶が、何かの拍子にふと蘇ることがあって、ムカイの理性を混乱させることがあるのだ。あれはいつ?それはどこ?もうわかんない!忘れたくても思い出せない、いまわしい封印された過去……なんちゃって。
 筑摩書店の文庫手帳が発売されて、これはなかなか重宝だと使い始めてムカイにも文明の曙が訪れた。何年かそれを使って毎年住所録を書き写すのが面倒だなーと思うようになり、買ってもらったシステム手帳を使い出して現在に至っている。その個人用の日記と撮影記録と妄想のネタ帖を兼ねたシステム手帳とは別に、家族の記録用に十年日記もつけている。 一転書きまくる日々。

 で、ムカイは人類として進化を遂げたのであろうか?時折読み返す自らの記録を持つことは、悪いことではない。しかし、今や彼の日記は記録という目的を忘れ、書く快楽に淫しているのではないか。「書いた筈だが何処に書いたか判らない」
  嗚呼 馬鹿は何処まで行っても馬鹿である。 (2003.01.05)


 

もののこえについて

 もののこえ

 さんぽの とちゅう
 きになる けしきに
 ときどき であう

 そのばの ものが
 なにか いってる
 そんな けしきに
 ときどき であう

 もののこえは
 おと よりも
 ひかりに ちかいので
 しゃしんには うつることが
 あるらしい

 でも
 のんびりしていると
 すぐに ものが へんか して
 けしきが かわると
 こえが きこえなく なってしまう

 もののこえを  ほんやくする
 じしょは ない
 ものが なにを いっているのか
 ほんとうの ところは
 わからない

 だから わたしは
 ただ めをみひらいて
 もののこえに ききいって いたい

 ムカイの写真展「もののこえ」は2002年6月27日から7月2日に大東市立文化情報センターDIC21で開催されたのであった。
  上記の文章はムカイが写真展の要約として考えて古いワードプロセッサでぎいこぎいこと小さな紙に打ち出して段落ごとに切り離して会場内の目立たない場所(柱のかげの壁とか床に近いところとか)に貼ったもので当然のことながら見に来てくれた人たちの殆どはそんな文章が貼ってあったことなど知らないままに会場を後にしたことであろうがムカイは大体において「めだたないこと」が好きなのでべつに気づかれなくてもかまわないらしいのだがそれでも写真展をやったり電脳頁を作ったりするのはやっぱり人に見てもらいたいからなのだが要するにムカイはなんでも「こっそり」やっていきたいらしいのでもしかしたらあなたの背後から足音を忍ばせたムカイがこっそりと近づいているかも知れません御用心御用心(2002.11.09)




とても若い女性たちと過ごす毎日について

 私とムカイはよく似た顔をしている。それはもう瓜二つという言葉は私達の為にあるのではないかというくらいの他人の空似・腹違いの双子なので、ときどき入れ替わっても誰も気づかない。もとよりムカイの家族は私の存在自体に気づいていないのである。たまに私がムカイになりすましていても、今日はお父さんちょっと機嫌が悪いのかなー、てなもんである。

 この夏前にムカイが写真展を開いたが、その告知の葉書をたまたま私が画廊等に置いてもらいに行った。そのときに、彼の二人の娘も一緒に連れて行かなければならなかったのである。「まあ両手に花ということで」仕事で出掛ける彼の妻に言われて、ムカイになった私は、子供たちの手を引いて街を歩き回り何軒かの画廊を訪ねた。子供たちは廊主にジュースを出してもらったり、ちょうど写真展を開いていた作者の方にのお菓子を貰ったりしていたが、うろうろして作品に触ったりするのではあるまいかと私は気が気ではなかった。移動の際には下の子が「もーつかれた。だっこしてー。のどかわいた。ねむたい」と次々攻撃を繰り出してくるのでとても疲れた。

 子供や仕事に時間をとられて、ムカイは以前のように一人で写真を撮りに行く時間が持てず、家の中で子供たちの写真を撮ったり、家族で出掛けた折にちょこちょこと作品を撮っているのだが、ゆくゆくは子供たちを仕込んで自分の助手代わりに使おうとたくらんでいるらしい。世の写真家のヒトは助手兼モデルのきれいな女性を連れ歩いたりしてるもんなー。こいつらがもーちょと大きくなって聞き分けがよくなったら三脚を持たして・・・などと勝手な計画に耽っているムカイであるが、もーちょっと大きくなったら子供はお父さんなんかについて来るものかと私は彼の夢想を鼻で笑うのである。それどころかひとの写真展に子供連れでやってきたり、自分の写真展会場でも子供が昼寝していたりする変な奴がいるらしいという噂が立ちはすまいかと思っている。まあそれはそれで、ひとつのスタイルとして面白かろうし、ムカイには美人の助手兼モデルよりもお似合いかもしれない。問題はムカイが私と瓜二つなので、私までが、そのスタイルを強制されあまつさえ子守までしなければならないというこの理不尽だけなのであるが。

追記:私が子守をしている間にムカイは写真を撮りに行けるではないかとお考えかも知れないが世の中そううまくはいかない。私がムカイになっている間は、ムカイが私にならなければいけないので、彼はその間何もしないで虚空に漂っていなければならないというわけだ。(02.09.28)


夏休みの読書について

 以前に比べてめっきり本を読まなくなったムカイである。つまらない情報や観念に踊らされずに済むので良いことだと私は思うのだが、彼はいまだに時間さえあれば本が読みたいと思っているらしい。
 一週間程の夏休みが取れたムカイは、本棚から何冊かの本を取り出した。何を読む気だろうと覗いてみると、平田篤胤「仙境異聞/勝五郎再生記聞」。だいぶん以前に買ってちょっとだけ読みかけてほったらかしていた本だ。これをちょろっと数頁読んで、また本棚へ。このペースでは、読了までに何年かかるのか、他人事ながら心配だ。
  それから、寺田寅彦「柿の種」これは以前読んだものの再読。 でも内容はすっかり忘れていたらしく新鮮な気持ちで読了したようだ。今回何やら感じるところがあったらしく、付箋を挟む。経済的な読書の為には忘却も美徳ではある。
 ほかには武田百合子「日々雑記」、柳宗悦「蒐集物語」を再読。夜寝る前の数分間、昼間ごろんとしている時を読み継いでなので、あまり複雑な文章は読めなくなってしまったとムカイはいうが、それは今に始まったことではなく、たとえば高校時代電車通学時に「古事記」を読んでいたが、天皇の名前ばかりが続く退屈な頁はうとうとと夢うつつのうちに読み飛ばし、何やら猥褻な内容が出てくると、急に目が冴えてくるといった、いつでもその程度の読書なのである。 


鏡の國について

 「鏡の國」は春の田植えを前に、水が張られた田圃に映る風景を集めたものであるが、これらの景色にムカイはなぜ引きつけられるのか。
  彼は幼い頃から、対蹠地的な概念を抱き続けてきたと言う。
  彼の故郷にある海水浴場で、幼児のムカイは、夕凪の遠浅の海の彼方に鏡に映ったように対称な場所とそこにいるもう一人の自分を空想したという。あるいは母親の三面鏡を開いたり閉じたりして飽かず遊び続け、とうとう鏡台が倒れて鏡を割ってしまい叱られたこともあった。さて、彼の子供が小さい頃に、同じような遊びをやっているのをみて、「ひょっとするとこの子は私が目を離した隙に鏡の中の子と入れ替わってしまったのではないか」と思ったムカイであるが、あるいは彼自身幼い頃に三面鏡の中のもう一人のムカイと入れ替わってしまったのではなかったか。(2002.8.5)


虚空堂前史

 ムカイはこの虚空に到達する前にかつて、「月刊無才」なる世界を構築した。それは彼が京都の某大学を奇跡的に4年間で卒業後、友人を頼って大阪府下某市に住民票を移し、身辺の雑事のあること無いことを友人たちに書き送った個人雑誌であった。
  そのころのことをムカイは、自らの「最低人時代」と称している。即ち、定職を持たず、友人宅に居候状態 であった当時の状況を社会的ヒエラルキーの底辺であると認識していたのである。
 やがてムカイは同市内のショッピングセンターにある某珈琲店にアルバイトとして就職し、友人宅からほど近い文化住宅で一人暮らしを始める。この時期を彼は「第一期貧民時代」と呼ぶ。なるほど当時の文化住宅街はどこかしら貧民窟めいた雰囲気があった。
 さてムカイは某珈琲店で正社員となる。そして京都へ転勤、宇治市某所なる社員寮に引っ越すのであった。彼はそこから京都市内にある店までオートバイで通勤した。部屋には熱帯魚のアストロノータスオセレイタス”ちびすけ”がいた。そのころのムカイは店員という職業が自分には向いていないと自覚し、現実の生活に疲れを募らせていた。そしてムカイは私、多田要太と再び巡りあい、「虚空」 を知ることとなる。(2002.7.26)


私は何もしたくないということについて 2002.7.某日記

 多田要太です。さて何を書こうかな。できれば私は何も書きたくは無い。そんなことをしている暇があったらぼーっとしていたい。
 昔からそう思っていた。高校の進路相談で、将来の希望を聞かれて仙人になりたいと答えた。先生は困った。悪いことをしたと思った。
 何もしたくない。空気のように生きていたいと思うのだが、まだ修行が足りないのでついついこんなところで文章なぞ書いていたりする。小人閑居して不善を為すというではないか。閑話休題。

 とりあえず、今回は私とムカイの関係を書いておこう。ムカイは、彼が京都で珈琲屋の店員をしている時に私と出会い、住所不定の私を彼の社員寮の部屋に居候させていたと認識しているらしいが、実はそれはムカイの思い違いであって、私はそれこそ彼が保育所に行っていたころから知っている。
 ムカイは自分の保育所時代について、集団になじめず暗い生活を送ったと語っているが、実際の彼はお調子者で明るい子供であった。 口が達者で、こましゃくれたことを云っては周囲の大人を感心させていた。保育園から近所の小川に散歩に行ってへらへらとふざけていて川に落ちたり、子供であることを差し引いても、後先を考えず軽い乗りでものごとを始めてしまうようなところがあった。今でもある。おかげで私はこんな文章を書くことになったというわけだ。

 

 

ここが底です