此処には妄想者多田要太による物語を所収しています。



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多 田 要 太



第4話 あるばむ譚


 てすさびで作った針穴カメラを持って、公園へ試し撮りに行った。これといって目を引く景色も無いので、適当な場所に三脚を据えていると、近くのベンチに座っていた益田喜頓に似た老人に話し掛けられた。
  「オヤ、それは針穴寫眞機でせう。写りは如何ですか」
私が、今日が写し初めなので、性能は判りませんと云うと、老人は私がカメラを向けている風景を見て、怪訝そうな表情を浮かべた。
  「此処にははさほど面白い被寫体があるとも思へませんが、折角御作りになつた寫眞機に初めて見せてやるものは、もつと貴方の大切なものを選ぶべきではありますまいか」

こういう場所でカメラを持っていると、カメラマニアのおやじどもににいろいろ質問されたり、薀蓄を聞かされたりして辟易することが多いのだが、この老人のような意見は初めて聞いた。
  「これは失礼、見ず知らずのお方に、差し出がましいことを云ひました」
私が手を止めて彼を見たものだから、老人はこう云って謝った。
  「イエ、尤もな御意見だと思い感服しておったのです。愛機のシャッターを初めて押すというのに私は今まで、何も考えておりませんでした。それにしても、いざ自分の一番大切なものは何かと考えると、案外難しいですね」
 私が云うと老人は一寸微笑んで云った
「さうですね、私の場合は・・・さうだ、もし宜しければ私の寫眞を見にいらつしやい。ナニすぐ近所に住んで居るのですよ」

老人の家は公園に程近い古い団地の中にあった。さっぱりと片付けられた物の少ない部屋に案内されて待っていると老人がアルバムを何冊か持ってきた。丸いちゃぶ台の上に一冊を広げると、最初の頁におかっぱ頭の少女の写真があった。
  「虫眼鏡のレンズを使つて自作した寫眞機で撮つた初めての寫眞です」
頁をめくると、亦同じ少女の肖像が現れた。髪型が三つ編みに変わり、制服らしいものを着ている。
  「先の寫眞から一年後、また新しい寫眞機を作りました」
頁をめくる度に同じ少女が現れた。いや同じ少女だが、頁をめくる度に大人びてゆく。
  「毎年寫眞機を作り彼女を寫すのが私の神聖な儀式となりました。さうして彼女も私の気持ちに応えて呉れました」
或る頁からはその女性のヌード写真が続いていた。一年に一枚づつ、一体何枚あるのか、私は一冊目を見終わると次のアルバムを手に取った。やはり同じ女性が艶然と裸体を曝していた。次第に年齢を重ねていく一人の人物が、単玉のレンズの静かな温かみのある描写で記録されている。こんなやりかたがあったのかと、私は写真を撮る者として悔しいような気持ちを抱きつつなおも頁をめくった。写真の女性は年齢を重ね、中年期にさしかかっている。気をつけてみると、女性の背景に写っている室内も、どの写真も同じようでいて、少しづつ変化しているのだ。物が増えたりなくなったり、最初の頃と比べると次第に生活感が写り込み、所帯じみた感じもしてくる。 私は無言で頁を繰り続けた。アッジェに作品を見せられたベレニス・アボットも、きっとこんな気持ちだったのだろうと私は思った。アルバムの女性は初老を迎えていた。変化してゆく肉体を温かい視線で写真は写し続けていた。何やら神々しいものを感じさせる写真であった。

かつて「ヘアヌード」が巷間に氾濫した時期に年増女優の写真集が売れたことがあって、おばさんの裸見て面白いのかと私は軽蔑の気持ちを抱いたものだが、今大いに反省をしている。それは記録され保存されるべき必然性があったのだ。某野球監督の妻の水着姿も、百歳の双子姉妹の写真集も、流行に追随した企画ものと受け取ると薄っぺらなものに感じられるが、それらの総てを通覧したとすれば、どんなに面白いものが隠されているかもしれない。もちろん年増女優や監督夫人が鑑賞に値する作品になっていたかどうかは別問題なのであるが。老人が私に見せてくれた作品は私に新たな写真の記録性と思考の広がりを示唆した。

「さうです、彼女は私の妻です……遠い昔です」
老人は私に言った。私はゆっくりとアルバムの頁をめくっていった。しかし、幸福そうな連続写真は突然に途切れ、そこから後は、写真の貼られていない白い頁が続いていた。
 私は何やらいたたまれぬような気持ちになってアルバムを閉じた。老人は遠くを見るような目をして煙草を吸っていた。
「奥さんは……」
私は、何か云わなければと思いつつ言葉を探せなかった。

「只今。なんやお客さんですか」
襖を開けて顔を見せたのは誰あろう写真の中の人。彼女は私の持っているアルバムを見ると云った。
 「あ、またそんなもん人さんにお見せして。ははははははは。すんまへんなあ。どうしようもないすけべおやじでっしゃろ。はははははは。尤も五年前に前立腺を手術しまして、それからはまあ大人しなりましたけれど。ははははははは、あれま、お茶もお出しせんと、ちょっとまっとくれやっしゃ。はははははは」
 私は早々に辞去した。  老人は遠い目をしたままだった。

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