此処には妄想者多田要太による物語を所収しています。



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多 田 要 太



第3話 ほいとのはなし

 もともと自動車の運転は好きではなかったのです。この軽自動車も、月に一度、近所のスーパーに買い物に行くのに使う程度で、二回目の車検が来ても走行距離は三千キロ程だったのです。通勤は電車だったし、生活に車はさほど必要ではなかったのです。

 ところが不景気で収入が目減して生活を見直すことになり、車を処分しようということになりました。それなら、その前に一家で最初で最後のロングドライブに行こうと思いついたのです。とりあえずは日本海を見に行こうと、土曜日の朝早く家を出てのんびりと走り、午後遅くに海について、沈む夕日を眺めました。
 …このまま帰るのはもったいない様な気がするなあ…
私が言うと、息子は大喜びしました。妻もまんざらではなさそうでした。その晩私たちは生まれて初めて車の中で一夜を明かしました。

 そして、それ以来、私たちは家に帰っていないのです。

 あれから何年経ったのか、もうよく判らなくなってしまいました。海岸に沿って日本列島を何周もしている筈です。目的地もないので、ここが何処なのか、明日何処へ行くのか、私たちには判りません。最初のうちは、時々銀行をみつけて貯金を下ろしたりしていましたが、それもいつしか底をついてしまいました。
 …お金がなくては、この夢みたいな暮らしもおしまいかな…
 しかし、この際ものは試しだと思って、私は道端に車を寄せて停まり、パワーウインドウを下ろすと、傍を通りかかった人にいってみたのです。
 …哀れな乞食にお恵みを…

 私は、子供の頃祖母がいっていた『ほいと』ということばを思い出しました。どこか薄汚れたお遍路さんや行者のような風体で門口に立っていた物乞いを祖母は、
 …あれはほいとじゃ…
 侮蔑をこめて言いました。しかしおばあさんは必ず米や小銭を彼らの頭陀袋や鉢に入れてやりました。
  私が風呂に入るのを嫌がると、
 …そんな汚いなりではほいとの子のようじゃ…
と言っていたおばあさん。
 おばあさん、私は、あなたの孫は本当にほいとになってしまいました。

 門口に自動車で乗りつけるふざけたほいとではありますが、それでも行く先々で一家三人が食うに困らずガソリンもなんとか入れるだけのお恵みが不思議にいただけるのです。
 物乞いを始めてから暫くして、車のナンバープレートが無くなっているのに気がつきました。私の運転免許証も、何処へ置いたのか判らなくなってしまいました。妻のクレジットカードや銀行のキャッシュカードも見当たりません。それに車検証も見つからないのです。もしも検問に引っかかったら一巻の終わりですが、不思議なことに今まで一度も警官に呼び止められたことがありません。一斉検問があって、列に並ぼうとしても、係の警官は私の方を見て、あっちへ行けと手を振るのです。

 一体これはどういう事なのでしょうか。私たち一家はどうなってしまったのでしょうか。
 走り続けているときは何も考えていないのですが、時々道端に車を停めている時など、考えてしまうことがあります。ほいとになるということはどういうことなのでしょう。私たちは本当にここに存在しているのでしょうか。いると思っているのは私たちだけで、実は私たちはもうこの世にはいないのではないか。そんなふうに考えて背筋に冷たいものが走ることがあります。しかし、私たちが見えているからこそ人々は私たちにお恵みを下さるのだし、見えていればこそ警官はあっちへいけと手を振るのです。でも何故こっちへ来いではなくてあっちへいけなのでしょう。

 一度、かつて私たちが暮らしていた町へ、住んでいた家へいってみようと思ったことがありました。でもどうしても行くことができませんでした。道がよく判らないのです。道路標識を見てもと居た町の名前の方へ曲がるのですが、気がつくとそこを通り過ぎているのです。引き返してみても同じです。見覚えのある景色のような気がするし、全く知らない場所のような気もするし、夢の中でもがいているような感じなのでした。
 私たちは居場所を無くしてしまったのでしょう。なにやら寂しいような気もしますが、「寂しい」という感情が一体どんなものであったのか、今ではそれすら判然としない私たちなのです。只ただ走り続けて日を送る、そしておそらく、今は覚えている過去の総てを忘却してしまうのだろうと私は思うのです。

 私たちはそんな風に生きているのです。聞いてくださって有難うございます。憶えてくださっても忘れてくださってもかまいません。私たちは直ぐにあなたのことを忘れてしまうとおもいますが……
 それでは、ご免くださいませ。

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