此処には妄想者多田要太による物語を所収しています。



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多 田 要 太



第2話 獺祭老人伝

  谷神不死 是謂玄牝
玄牝之門  是謂天地之根
緜緜若存 用之不勤      (老子)

おばあさんが亡くなってしばらくして、おじいさんは
「わしは隠居するけんの」
 といって、裏の蜜柑山のてっぺんに小屋を建ててそこにひきこもり、食事の時以外は家に帰ってこなくなった。
「おじいの好きにさしたらええ」
といっていたぼくの父も、ちょっと心配になりのぞきに行ってみると、小屋中に、とてもたくさんのエロ本があふれていた。
「これはどうしたんぞ」
あきれた父がときくと、
「自転車で松山まで買いに行ったのよ。毎日いくので本屋もびっくりしとる」
おじいさんは上目使いに父を見ていたずらっ子みたいにいった。
「自転車で行っては時間もかかるし、しんどかろう」
母が心配すると、
「飛ばすけん、すぐよ。こないだ警察のまえを走ったらパトカーが追いかけてきての、自転車でそんなに飛ばしたらいけんゆうておこられたわい」
 いかにも面白そうに笑うのだった。
まあ年寄りのすることだからということで、おじいさんはそれからもエロ本集めに精を出したが、
「子供は行ったらいかん」
と僕は小屋に出入り禁止にされてしまった。 それでも時どき小屋を訪ねると、おじいさんは喜んで中に入れてくれ、僕は喜んで漫画や写真から世界の秘密を学んだ。といっても、そのころのエロ本は今と比べると慎みぶかくて、いたるところに黒い墨ベタが印刷されていて、秘密の探求を拒むのだった。
「なんで見えんようになっとるんじゃろ」
あるとき本のページを繰りながらぼくが言うとおじいさんは
「大秘密がそこに隠されとるのよ、この世のすべてのものはそこからでてきたんぞ」
  じっとぼくをのぞきこむようにしてそういった。
それから何年かしておじいさんは死んだ。死ぬ前の日、母屋で昼飯を食べた後、母に
「あした死ぬるけん、皆にゆうといてくれ」
といって小屋に帰ってその晩は食事にこなかった。心配した父が小屋を訪ねるとおじいさんは別段変わったところもなく、酒をちびちび飲みながらエロ本をながめていた。
 翌朝食事に降りてこなかったので、母が行ってみるとおじいさんは肘枕してうたた寝するうような格好で死んでいた。
集まった親戚の男連中は、形見分けと称してエロ本を嬉しそうに物色して持ち帰った。実際、おじいさんの財産はそれ以外にほとんど残されていなかったようだ。ぼくも大人たちのすきをみて何冊かシャツの中にたくし込んだ。
「あんなに好きだったのだから」
と、お棺の中にもたくさんのエロ本が詰め込まれた。火葬場の煙突から煙といっしょに、ヌードグラビアの焼け残りが大量に空に舞い上がり、辺りに降って皆をあわてさせたが、翌日骨を拾いに行って皆はもっとあわてることになった。
 缶の蓋をあけてみるとお骨がなかったのだ。焼け残りのエロ本とお棺の残骸はあるのに、おじいさんの骨は喉仏ひとつものこっていなかった。大騒ぎになりかけたが。おじいさんの妹である広島のおばあちゃんが
「ほんに兄さんらしい最後じゃなあ」
といって骨壷にエロ本の灰をすくって、その場をおさめた。
形見分けしたといっても大量のエロ本が残されたままになっていた蜜柑山の小屋は、僕の聖域となっていたが、ある年の台風でエロ本もろともどこかへ吹き飛ばされてしまった。

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