此処には妄想者多田要太による物語を所収しています。



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多 田 要 太



第11話 カミナリ小僧は走るために生まれてきた

 定年になったのは何年前のことだったろう。もう思い出せない。毎日家でごろごろしていては体に悪いなどと家族に言われるので今日も午後から散歩に出た。行くあてもないのでとりあえず近所にできたコンビニを覗いてみたが売られているものにまったく心が動かない。何も買わずに店を出て何もしないのにひどく疲れた気がして道路際にあるコミュニティーバスの停留所のベンチに腰を降ろした。

 目を閉じていると
「死滅してゆく光に向って 怒り狂え」
という言葉が思い出された。昔読んだ誰かの詩の文句だと思うのだが誰のなんだったか思い出せない。何でも教えてくれる便利な電子機器も持っていないので調べようもない。なに、そのうち眠気がして次の瞬間には何を思い出したのかも思い出せなくなっているのだから気にすることはないと思い直して体の力を抜いて時の流れに身を任せた。夕方までこうしていようかと思う。

 甲高い爆音が近づいてくる。バイクの音のようだがいまどきこんな音を出すバイクはない。みんな電気で走る時代だ。そのままでは静か過ぎて危険なのでわざわざニセのエンジン音を出すようになっているけれど、こんなにうるさいのはないだろう。

  目を開けるとコンビニの駐車場に入ってきたのは大昔に死滅した250ccの2サイクルエンジンを搭載しているらしいが原型を留めぬ程に改造されたバイク。スプレー塗料でぞんざいに黒く塗られた工事用ヘルメットをかぶって乗っているのはちょっと太目の少年。大きくふかしてギヤをニュートラルに入れてエンジンを切った。

  次に、電車のモーター音を模した音を響かせてやってきたのは最近よく見かける大型の高級電動スクーター。ぴかぴかの新車のようだが、乗っているのはこれも今年中学校を出たばかりと見受けられる生意気そうな少年。たぶん親のバイクを持ち出してきたのだ。二人は道路の彼方を見ている。まだ誰か来るらしい。

 頼りなげな今にもエンストしそうなエンジン音をさせて遅れてやってきたそのバイクを見て驚いた。

  ヤマハSRX250。

  それは私が若いころに乗っていたバイク。特徴的な平べったいタンク。単気筒なのにDOHCの4サイクルエンジン。角型のヘッドライトは初期型。スリムで軽くてよく走る。信号で並んだどんなバイクにも負けないスタートダッシュ。

  あの夜ハンドルロックを忘れて朝起きたら銀色のカバーだけが当時住んでいた文化住宅の前に抜け殻のように落ちていた。何か月もたって警察から見つかったと電話があって引き取りにいくと修理もできないほどに壊されていたあの私のバイク。私が乗った最後のバイク。

  まるで新品そのままの姿でヤマハSRX250は今私の目の前を通り過ぎて先に止まっていた連中の脇に止まる。 いや止めようとしてエンストした。ニュートラルの位置がわからないようだ。見たこともないメーカーのフルフェイスのヘルメットを取った。眼鏡をかけたどんくさそうな少年。

 私の頭は何も考えていなかったが私はベンチから立ち上がり彼らに向って歩いていった。
「にいちゃんらめずらしいバイクにのってるなあ」 私の口は私の頭にかまわず彼らに話しかけた。彼らは迷惑そうに顔を見合わせる。どこかでみたことのあるやつらだと私の頭が思う。私の顔は満面の作り笑いを彼らに向ける。

  私の口はさらに彼らに話す。「じいちゃんむかしこれと同じバイクに乗ってたことがあってな」私の頭はああ思い出したこいつらジャイアンとスネオとのび太だと思う。「そうとう古いバイクのはずやのにきれいに乗ってるなあ」とさも感心したように私の口が言うとのび太が慌てたようになにか言いそうになるのを制するようにジャイアンが「知り合いのバイク屋にデッドストックがあってん」と言った。私の頭はこいつうそいうてると思う。

  私の顔はいよいよ感動したかのような表情を作り上目遣いに彼らを見つめる。私の口は「それはすごいなあちょっとみせてもろてもええかなあ」と言う。三人は動揺する。わたしの眼は視野の端にのび太がバイクのキーをつけたままにしているのを確認する。

  私の手は財布から千円札を取り出す。私の口は「にいちゃんら喉かわいてへんかこれでコーラでもお飲み」と言い私の手がジャイアンに札を無理やり握らせる。

 彼らが店内に入るや私の手はジャイアンのバイクのキルスイッチを切り燃料コックをオフにする。SRXのチョークが出たままなのを元に戻す。さっきのエンスト寸前状態はこのせいだ。SRXにはオートチョークはついてない。スネオのスクーターは構造が皆目わからないのでどうしようもない。私の目が缶入り飲料を飲みながら店を出てくる三人を捉える。

  私はSRXにまたがりセルを回す。私の頭の中であのギターのリフが鳴り出す。血が騒ぐ。ギアをローに落として足をついたまま思い切りアクセルを回す。エンジンは「ろろろ」と雄叫びクラッチを離すと後輪が横滑りして隣に止まっていたスネオのスクーターを押し倒す。その横のジャイアンのバイクもあおりで倒れ部品が壊れるいやな音たてる。

  私の眼はジャイアンの口からコーラが噴き出すのを見る。私の鼻はジャイアンのバイクのキャブレターに残っていたガソリンの匂いを嗅ぐ。頭の中ではミック・ジャガーが俺は嵐の晩に生まれたと歌いだす。その場で回頭した私の。私のSRXは道端まで走りもう一度向きを変える。コンビニの入り口で立ちすくむガキどもをめがけて急加速する。やつらは慌てて店内に逃げ込む。私の顔は店内で尻餅をついてこちらを見ているガキどもに悪魔のような笑顔で別れの挨拶を送る。スネオが小便を漏らす。

  私は方向を変えて道路に出ると頭の中でカミナリ小僧冗談冗談冗談と歌うミック・ジャガーの声を聞きながら走り続ける。追っ手がかかることを警戒してしばらくは狭い道をでたらめに走り回る。適当なところで外環に出て高架を登り電話局の鉄塔が見えたら右折レーンに入る。信号が変わったら直進車にかまわず右折して団地の前を過ぎ茄子作天の川浄水場フジパンクボタを過ぎて出屋敷南から国道一号線に入った。こんなに空いている一号線を見たことがない。トップギアで回転を上げるとSRXは「るるるるる」と歌いながらあたりの車を追い越してゆく。

 洞ヶ峠で日が暮れた。ここからどこへ行こうかと走りながら思う。行く手を見ると闇の中に一号線はまっすぐに京都の方へ伸びている。バイクを盗まれてから一度もこの道を走っていないのでこんなに直線だったかしらと思う。木津川淀川横大路下鳥羽赤池上鳥羽東寺の前までずっと青信号で来て琵琶湖へ行こうと思いつく。どこかへたどり着くのではない。湖の周りをぐるぐると回り続けよう。

  頭の中でEストリートバンドが演奏をはじめ、ブルース・スプリングスティーンが俺たちはは走るために生まれたと歌いだした。そうだ何時までも走り続ければいいんだ。気がつけば何時からか路上には私のSRX250以外に走っているものはなかった。

  新幹線の高架をくぐり堀川五条を右折した。思い出した。デイラン・トマスだ。

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