此処には妄想者多田要太による物語を所収しています。




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多 田 要 太



第1話 裸で暮らした我等の先祖は

 起きぬけにテレビをつけたら女性アナウンサが裸でニユウスを読んでゐたので、自分は彼女が何を云つてゐるのか理解できなかつた。これは何のハプニングだらうと思つてゐたが、なんの混乱もなく彼女は平然とニユウスを読み終へて、つづいて登場した気象予報士の男もやはり裸で気圧配置を全身を使つて説明するものだから自分は無修正の画面を呆然と眺めてゐたところへ、小学生の娘が起きてきて、「おはよう」とも云はず暫くテレビを眺めてゐたが、娘はやおらパジャマも下着も脱ぎ捨てて台所へ行つてしまつたので、娘に続いて寝室から出てきた妻は裸の娘に小言を云ひかけて、テレビを見たまま暫く動かなくなつた。
  テレビでは別のアナウンサがやはり裸でニユウスを読んでゐたのだが、妻は何やら納得したやうな表情になるとやはり着ているものを脱ぎ捨てて朝食の支度をしに行つてしまつた。
  テレビニユウスは終はりに近づき「では中継画面を見ながらお別れです」と、通勤者が増え始めた駅前の風景を映し出したが、そこに映つている人々も皆裸だったので自分は何やら得体の知れぬ恐怖を覚えたのだが、妻と娘は平然と裸で朝食を食べて真つ裸に鞄やランドセルをつけて、玄関で靴を履くべきかどうか一瞬悩んで、しかし裸足で元気良く出かけて行つた。
  自分はベランダへ出て二人の後姿や、同じ団地の住人たちが、やはり裸で出掛けて行くのを暫くながめてゐた。
 その日から自分はひきこもつてしまつた。

 寒い冬になつたら皆だうするのだらうと思つてゐたのだが、雪の日も人々は平気で丸裸で過ごしていた。人類は新しい段階に到達したのかもしれぬと思つた。しかし、自分は誰とも口をきかず家の中で過ごした。時々妻は溜息をついたが、服を脱げとも、何故脱がないのかとも云はなかつた。自分も妻に何故服を脱いだのか聞かなかつた。
  時折自分はテレビを見た。総理大臣も国会議員も浮浪者も裸だつた。外国人もみな裸だつた。旅番組では、レポオタアが、裸で買い物や食事をしているくせに、温泉に入るときには何故か胸元までバスタオルをしつかり巻いて湯船に浸かつているのが不思議だつた。
 一年が過ぎた。ある夜、自分が眠つていると娘が妻に「お父さんは何時になつたら会社へ行くのだらう」と云つているのが聞こえた。自分は深夜眠れぬままに自転車に乗つて国道沿いを町外れまで行くと道端に何台ものエロ本の自動販売機があつたので一冊買つてみると出てきた本の表紙は服を着た女性の写真だったが頁をめくると、中身は裸の、何のことはない普通のエロ本だつた。自分は急に腹が立つて、糞、金をかえせと自動販売機を蹴つたので防犯ベルがけたたましく響き渡つた。自転車に飛び乗つてその場を離れた自分は、少し離れた公園まで逃げてくると自転車を放り出し地面に寝転んだ。動悸がおさまると自分はなにかふつきれたやうな爽快な心持ちがして、着てゐるものを脱ぎ捨ててしまつた。それからポケツトに残つてゐた小銭を握りしめて自転車に乗つて帰つた。裸で自転車に乗るのは妙な気持ちだつたが、嫌ではなかつた。なんで自分は今までこんなにも頑なだつたのだらうと可笑しかつた。もう夜明けだつた。団地のごみステエションを見て今日が燃える粗大ごみの日だと知つた自分は帰宅するなり家中の服をゴミ袋に入れて収集場所に持つて行つた。快い疲労を覚えて布団に横になり、一眠りしたら髭を剃つて職安へ行かうと思ひながら目を閉じた。

 で、 起きぬけにテレビをつけたら女性アナウンサが服を着てニユウスを読んでいたが自分は彼女が何をいつているのか理解できなかつた。頭の中にゴミ収集車のオルゴオルの音が響き渡つていた。

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