虚空通信

虚空通信は当研究所の母体である虚空堂が発行し、ごく限られた友人知己に配布する絵葉書通信です。写真あるいは写真をもとにした版画またはイラストとそれに付随した短文によって構成されています。発行は不定期で、送る相手も変則的になることがあります。貴方の処へもある日突然届くかも知れません。
 
 

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彗星見えず
1995年3〜5

彗星がきたというので空を見ていたが曇りばかりで見えません。三月の末に右足をネンザして一ヵ月松葉杖をついているあいだに彗星は南半球へ行ってしまいました。ザンネンです。(5/29脱稿)


わが内なる空洞
恐怖のガストロカメラ
7月15日

 恒例のバリウム検査で、胃にポリープがあるらしいと云われて、生まれて初めて胃カメラを飲みました。注射されたり、液状の麻すいをのどに含んだりした後、胃カメラ室に行きました。胃カメラは黒いチューブ状で先端からピカピカと光線を発し、ブンブンと唸っていました。それが僕の口から入って腹の中で水や空気を噴射しつつ、のたうちまわるのです。
 そして僕は、初めて、自分の胃の中を、枕元のテレビで見たのです。それは炎症で真赤になっていましたが、レントゲンで見た小指大のポリープは見当りませんでした。
 やれやれ・・・・10月28日脱稿


1997年4月記
車を買い換える
日蝕を見た
彗星を見た
メープルソープ展
ハンコのプリクラした

1997年11月6日記
「ヨク ワカラナイ コト」
ワタシハ ヨク ワカラナイ
”ワカッタ”ト サケビ
ハダカデ ハシリマワッタコトモ
アッタガ
オモヘバ ソレモ
タチノワルイ オモヒコミデアッタ
ワタシハ ヨクワカラナイ

今年コソハ性根ヲ据エテ芸術に励マウト思ツテ氣モ充実シテヲリマシタガ廻ル因果ト不測ノ事態デ極楽トンボノ飛ブモカナハズ日常ノ煩瑣ヲ縫ウテ庭先ノ花ナド愛デテヲリマス 裏面ハ桔梗ノ蕾デス
1998年7月4日 記

1999年8月記
「心の中に以前からあった不安がこのところどんどんとおおきくなってしまったのでお医者に行って薬をもらってのんでいます薬を飲むと不安にモザイクがかかったようになり少し楽ですが心の中にモザイクがかかっているのもちょっとつらいです。」

1年くらい前から、集中力の低下と対人恐怖の感があって何か変だなと思つていたけれどお盆前のある日、心の中にポコッと暗黒の穴があきそこからコールタールの蛸が触手をのばして私の首や手足や胴体にぬめりぬめりとからまりつくような恐怖を覚えたまらず病院で検査すると自律神経に乱れがあるからこの薬を服用するようにと云われてそれ以来いわゆる向精神薬を朝夕飲んでおり近頃では主治医も「だいぶん表情に明るさが出てきた」と云って呉れたり、またこんな文章も書けるようにもなって来たのですが、薬は蛸の穴を埋めるわけではなく、ただ穴の上にサランラップのような膜を貼ったような状態にしているだけで、まあそれでも蛸が出てこないので気分的には楽になりましたが、もともと蛸の穴が出来やすい性格なので、それを何とかしないとまた新らしい穴が出来てしまうわけで、医者は演技でよいから明るく振るまって人と交わるようにしなさいとカウンセリングのたびに云われるのですが、それが出来れば苦労はないわいなと云ったところです。調子のいい時と悪い時がありますが、少しは楽になってきています。でも発病以来この世界の美しさは半減してしまったように私には思えるのです。ではまたおたよりします
1999
年12月記

オツトメヲ辞メテ家ニ居リマス
チョットツカレテシマッタノデス
シバラクゴロオゴロシタリ
ブラブラシヨウト思イマス

キノウハ久シ振リニ
カメラヲ持ッテ
写真ヲ撮リニ行キマシタ
オニギリ一箇ポケットニ入レ
フララト道ヲ行キマシタ

コノママ「ねこぢるうどん」ノオ父サンニナルカ、再ビ勤労意欲ガ涌イテクルノカ、ワカリマセンガマズハオシラセマデ

二千三年三月二日記


◎本が余り読めませぬ。特に昔は好きだった幻想小説だの不条理文学だのがいけない。それゆえ先日、本棚にあった日野啓三の小説やエッセイなどを風呂敷に包み古本屋へ持って行ったのだが、にっくき本屋のおやじめがもう文庫になった本なぞ買えぬといいくさり私は泣きながら重たい風呂敷包みを持って帰ったのでした。それで最近は何を読んでるかといえば、昔読んだ岡本綺堂の「半七捕物帳」や「三浦老人昔話」小泉八雲なぞを読み返しているのです。幻想や不条理はだめだが因果物や怪談はいいのか、似たようなもんぢゃないかと言われそうですが、その、昔話ちゅうところがいいのです。
2000年7月記

◎スーパーの玩具売場で子供を遊ばせていて、陳列棚の韓国製エアガンに心を奪われてしまいました。ブローニングM1910タイプで値段は千数百円。殆どの男子は人生の一時期に拳銃の魔力に魅入られるもので、私も幼い頃から銀玉鉄砲、紙火薬の百連発ピストル、モデルガンなどを弄びましたが、玉の出るのは物騒だし、さりとて手入ればかり面倒なモデルガンも空しいオブジェだと思うようになり熱も冷めましたのによもやこの年齢になってまたも心を乱されるとは思いもよりませなんだ。その日は買わずに帰りましたが寝ても醒めても心の隅に幻影がこびりつき、そんなもの買っても仕方がないじゃないかという常識を脅かし、新聞の総理大臣の写真を切抜いて的にして撃ったら痛快だぞとといった悪魔の思い付きに負けてついに野崎観音参道の玩具店で買ってしまいました。今年の自分への誕生日プレゼントです。後悔はしていないぞ。
2000年10月記
   
   
   
   
   
   

続きはまた今度